盛岡城の歴史を簡単にわかりやすく!石垣の見所やアクセス情報も!

      2017/09/10

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盛岡城は、東北では珍しい、花崗岩を積み上げた高い石垣が特徴の城郭です。

 

現在は、天守が存在しないため、盛岡城跡ですけどね。東北で天守が現存しない石垣の城といえば、仙台の青葉城がありますね。こちらも、現在は、青葉城跡とか仙台城跡と呼ばれていますよ。^^

 

仙台の青葉城と並び、盛岡城の石垣も迫力があって見事です。

 

では、この盛岡城の歴史ってどのようなものだったの?

 

と思ったあなたに、簡単にわかりやすくまとめてみますね。

 

そして、ぜひ、盛岡城跡に足を運んでみてくださいね。^^

 

盛岡城の基本データ

まずは、盛岡城を簡単におさらいしてみましょうね。^^

 

以下に簡単にまとめてみましたよ。

 

盛岡城の基本データ

盛岡城の基本データはこんな感じです。^^

別名 不来方(こずかた)城
城の構造 連郭式平山城
天守の構造
  • 御三階櫓(1842年以降は天守)
  • 不明3重(1633年築)
  • 独立式層塔型3重3階(1676年再 非現存)
建てた人 南部信直
建てた年 1598年(慶長3年)
主な城主 南部家
廃城年 1871年(明治4年)
遺構 石垣、土塁、堀、移築土蔵・門

 

盛岡城の勲章

盛岡城は、国の史跡日本の100名城に指定されています。

 

また、福島県会津若松市にある「鶴ヶ城」、福島県白河市にある「白河小峰城」と盛岡城を合わせて「東北3名城」と呼んでいますよ。

 

盛岡城とは?

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それでは、盛岡城のことを簡単にわかりやすくまとめてみましたので、ご参考までにどうぞ。^^

 

盛岡城の歴史とは?

盛岡城は、戦国武将であり、盛岡藩の初代藩主となった南部信直(なんぶのぶなお)によって、文禄元年(1592年)に築城が始まりました。

(南部信直 引用元:wikipedia

 

盛岡城の築城が計画されてから、実際に完成するまで、40年もの期間がかかったそうで、なんとも壮大なプロジェクトだったんですね。^^

 

盛岡城の特徴は、なんといっても、「石垣」です。

 

石垣の城は、豊臣秀吉の下で、石垣の築城技術を学んだ大名によって西日本の方で発展してきました。ですので、東日本や東北で石垣の城はなかなか築城されなかったのです。

 

しかし、盛岡城が石垣を築けたのは、秀吉が、南部信直を東北の守りの拠点として城を築かせたからだと伝わっています。

 

この盛岡城の石垣の技術を教えたのが、浅野長政と言われています。この人物は、秀吉政権において、石田三成とともに、五奉行を務めた人でもあります。そして、奥州仕置の実質上のリーダーだったのです。

 

浅野長政と南部信直は、奥州仕置によって、次第に仲を深め、石垣の技術を伝授するまでになったとか。盛岡城を設計したのは、浅野長政だとも言われていますよ。^^

 

実際に、浅野長政と蒲生氏郷は、奥州仕置の際に南部信直と対立していた「九戸政実」が起こした一揆(九戸政実の乱)を鎮圧するために、派遣されていたのです。

 

この九戸政実を鎮圧した後に、それまで拠点としていた三戸城から九戸城、そして、不来方に拠点を移し、現在の盛岡城跡地の場所に盛岡城を築くことになったのです。

 

盛岡城は、西部を北上川、南東部を中津川が流れ、その合流地に位置(現在の盛岡市中心部)します。

 

本丸の北側には、二の丸、本丸と二の丸の間は空堀で仕切られていて、現在は朱塗りの橋が架かってます。ちょうど見出し直下の画像のイメージですね。この朱塗りの橋が紅葉を際立たせていますよね。

 

南部信直は、南部氏の中興の祖と呼ばれ、秀吉に信頼されていた大名だったようですね。

 

そして、南部氏は、遡れば、甲斐源氏の流れを組む、列記とした「源氏」なのです。

 

甲斐源氏というと、源義家の弟、新羅三郎義光(源義光)が祖先と言われています。武田信玄の祖先でもありますね。^^

 

その流れを組む一族のひとつが「南部氏」なのです。

 

南部氏もさらに分家し、宗家の三戸南部氏をはじめ、八戸南部氏、一戸氏、四戸氏、七戸氏、九戸氏に分かれています。

 

岩手県北部、青森県南部の地名にも八戸市や一戸町など、この南部氏が由来なのです。相当な影響力ですよね。^^;

 

ちまたで言われている、南部地方と、津軽地方が仲が悪いのは、この南部信直と弘前の津軽為信との対立があったからとも言われています。

 

もともと南部の領土だった津軽を、南部氏内部でもめている最中に、津軽為信がもぎ取っていったことが発端だったと言われています。

 

のちに、南部信直は、津軽為信を批難し、所領安堵を秀吉に申し出ますが、却下され、結局、津軽地方は、津軽為信のものになってしまったのです。

 

このことで、南部と津軽は仲が悪いと言われています。

 

なんとも、秀吉は、あちこちで恨みごとに関わっていますよね・・・^^;

 

ということで、南部氏は、津軽を泣く泣く諦め、その後は、盛岡藩を任され、明治の廃藩まで守り抜いたのでした。

盛岡城の見所は?

やはり、代表的な見所は、「二の丸と本丸を結ぶ御廊下橋」ではないでしょうか?

 

石垣にかかる朱の橋が京の雅な雰囲気を醸し出しています。^^

 

そして、本丸天守閣跡も石垣が見事ですね。

 

こちらは二の丸跡です。

 

その他、二の丸の石垣、三の丸跡、淡路丸跡、淡路丸の石垣などもおすすめですよ。

 

盛岡城のアクセス情報

それでは、盛岡城の場所やアクセス方法、気になる駐車場などをわかりやすく、まとめてご紹介します。

 

住所 岩手県盛岡市内丸1-37
交通アクセス 【電車】

JR盛岡駅からバスで約6分、盛岡城跡公園下車すぐ、JR盛岡駅から徒歩約25分

【車】

東北道盛岡ICから約25分

駐車場 地下駐車場があります
お問合せ 019-604-3305 (公財)盛岡観光コンベンション協会
備考 公園内には、

石川啄木の歌碑

新渡戸稲造文学碑

宮野小提灯句碑

宮沢賢治詩碑

などがあり、盛岡ゆかりの人物の文学作品も楽しめますよ。

 

<MAP>

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

盛岡城は、東北でも珍しい、花崗岩の石垣として知られています。

 

迫力ある石垣を見ながら、南部氏の歴史を感じてみるのもいいかもしれませんよ。

 

 

それでは、今回もありがとうございました。

 

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