オリンピックの歴史とは?古代と近代の違いは?日本はいつから参加?

      2018/02/01

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2018年の冬季オリンピックが韓国の「平昌(ピョンチャン)」で開催されます。

 

そして、2020年はいよいよ東京で夏季オリンピックが開催されますね。

 

そこで、オリンピックをより深く、

 

面白く観戦するために、

 

ちょっぴりオリンピックの歴史をあなたの脳みそにインプット

 

これであなたの脳は、オリンピックの歴史博士!?^^

 

って、なっていればいいですね(笑)

 

普段オリンピックの歴史なんてあまり気にしてない人でも、オリンピックが開催されるまでにはどんな苦労やドラマがあったのかを知ることで、その国や選手たちの生きた思いが伝わってきて、感動もさらに倍!ですよ。

 

そんなオリンピックの歴史を見ていきましょう!^^

 

オリンピックの歴史とは?

普段僕たちがオリンピックって呼んでいるのは、「近代オリンピック」のことです。

 

知ってましたか?

 

恐らく99%の人がそんなの知らん!そんなのどーでもいいじゃん!

 

ってなってますよね。^^;

 

僕もそうです(笑)

 

でも、オリンピックの歴史はなんとなくでも、かなり古いんだろうなってイメージがありますよね。

 

それもそのはず!

 

オリンピックは、紀元前の古代ギリシャの時代からあるのですから。

 

そして、そのころのオリンピックを近代オリンピックと分けて、「古代オリンピック」と呼んでいるのです。

 

そうです。

 

オリンピックには、大きく分けて、

 

古代オリンピック」と「近代オリンピック」があるのですよ。

 

はい!これだけであなたはオリンピック博士~(笑)

 

って、それではあんまりなので、この古代と近代ってなにがどう違うのか、その歴史を簡単に分かりやすく解説しますね。

 

古代オリンピックとは?

古代オリンピックとは何?

(古代オリンピックのイメージ図 出典:wikipedia

 

れきお
古代オリンピックってなんでしょうね?

 

古代オリンピックとは、一言で言うなら、古代ギリシャのスポーツの祭典です。^^

 

この古代オリンピックは、ギリシャ人の血統をもち、罪人以外の人のみに参加資格が許された、とても神聖なる競技だったのです。

 

この競技期間中は、たとえ敵国であろうと友好的に競技を楽しもうという平和への願いが込められていたそうです。

 

理念は、今のオリンピックと同じだったんですね。

 

古代ギリシャには、4つのスポーツ大会がありました。

 

その4つとは、以下の4つです。

  • オリュンピア大祭 :4年に1度開催 祭神「ゼウス」
  • ネメアー大祭   :2年に1度開催 祭神「ゼウス」
  • イストモス大祭  :2年に1度開催 祭神「ポセイドン」
  • ピューティア大祭 :4年に1度開催 祭神「アポロン」

 

この中で、「オリュンピア大祭」と呼ばれるものが古代オリンピックの元となる大会だったのです。

 

4つは、いずれも古代ギリシャにとっては、ギリシャ神話に出てきる、神聖なる神「ゼウス」や「ポセイドン」、「アポロン」に捧げるためのものだったようです。

 

その中で、ギリシャ神話に出てくる全知全能の主神・ゼウスに捧げる「オリュンピア大祭」がもっとも権威のある祭典だったのです。

 

このオリュンピア大祭は、ゼウスの神殿があるエーリス地方のオリュンピアという場所で開催されました。紀元前9世紀から紀元4世紀ころまで行われていたようです。

 

そのため、「オリュンピア大祭」と呼ばれていたんですね。^^

 

このオリュンピア大祭は、ゼウスが男の神だったために、女人禁制での大会だったそうです。

 

しかも、競技する男性陣は、みんな全裸だったとか?

 

そのため女人禁制だったとも言われていますよ。^^

 

なんとも、すごい状況ですね。まったく想像がつきませんよ。^^

 

古代オリンピックの起源とは?

(古代オリュンピア聖域 出典:wikipedia

 

オリュンピア大祭は、そもそも、伝染病の蔓延に困ったエーリス王・イーピトスが競技会を復活させよとの神の声を聞いたことから始まったと伝わっています。

 

エーリス王・イーピトスが、敵国スパルタ王・リュクールゴスと盟約を結び、オリュンピア大祭が実現したと伝わっています。が、この説には疑問視する声もあるようですが、神話の国ギリシャらしい由来であることは確かですね。

 

ちなみに、スパルタという国は、ギリシャ最強の戦闘部隊を誇っていたところですね。「スパルタ教育」とは、このスパルタの強烈な過酷な軍事教育に由来しているそうですよ。かなりキツそうです。^^;

 

 

最初は、エーリスとスパルタの2国だけで、行われていたそうですが、徐々に参加国が増え、しだいにギリシャ全土に広がっていったそうです。

 

古代オリンピックの種目とは?

(スタディオン走 出典:wikipedia

 

古代オリンピックとして記録が残っている最初の大会は、紀元前776年のことです。

 

ですので、この紀元前776年を古代オリンピックの第一回目としているそうなのです。

 

この時期は、1日だけの開催で8月ころに行われていたと伝わっていますよ。

 

そして、この時の種目は、陸上競技の短距離走1つのみでした。

 

スタディオン走」と呼ばれる、いわゆる短距離走でした。

 

1スタディオン=約192m。

 

このスタディオンというのは古代ギリシャで使われた距離の単位です。日本でいえば、メートルとかですね。

 

祭壇に供物を捧げる際に行われた競走が起源で、日本でいうところのパン食い競争?みたいなやつですかね?^^;

 

まあ、さしづめ、100m走という感じですね。

 

この種目に古代ギリシャの人々は熱くなったのです。^^

 

ちなみに、この時の優勝者は「コロイボス」という人物です。

 

そして、この大会をコロイボス・オリンピックとも呼ぶのだそうです。今で言う「東京オリンピック」のような感覚でしょうかね。^^

 

このスタディオン走ですが、かなりな不正が横行していたようですよ。

 

勝つために、足を引っ掛けたり、掴んだり、走行妨害は当たり前だったようで、勝者になるには、それらにも勝たなければならなかったんですね。

 

また、フライングした人には、鞭打ちが待っていたそうで、これも半端じゃないですね。^^;

 

ちなみに、最初のころは、競技者が全裸ではなかったようで、こうした不正が増え、種目も徐々に増えていく中で、公正を喫すために、「全裸」となっていったようです。

 

ちゃんと理由があったんですね。^^

 

でも、走るとき、じゃまなような気がしますが。(笑)

 

その後、ディアウロス走(中距離走)、ドリコス走(長距離走)、五種競技、円盤投、やり投、レスリング、ボクシング(拳闘)、パンクラティオン、戦車競走など、競技が増えていったのです。

 

古代オリンピックの終焉はなぜ?

最初は2国から1種目ではじまった古代オリンピックですが、しだいに参加国が増え、競技数も増えていきました。

 

優勝者には、オリーブの冠と、神と同席することが許されました。

 

神と同席ってどういうことかというと、オリュンピアの神殿がある敷地内に優勝者の像が作られたということです。

 

これによって、神と肩を並べることが出来たってことなのですね。

 

なんとも壮大な賞です。

 

しかし、その古代オリンピックにも陰りが見え始めます。

 

その原因は?

 

そう!

 

古代ローマのギリシャ征服だったのです。

 

古代ローマ皇帝のネロは、暴君として知られた人物で、ギリシャの古代オリンピックに自分の名を刻むべく、自分の都合の良いように開催年を変更したり、負けても優勝者にしたり、自分が好きな音楽の競技を追加して、あまりの音痴さであっても、優勝としたり、大会ルールなどはガン無視で、己に都合の良いように全てを書き換えてしまったのです。

 

のちに、ネロの死後、この記録は抹消されたようですがね。当たり前ですよね。^^;

 

オリンピックを滅茶苦茶にしたネロですが、やがて、キリスト教が広まるにつれ、ギリシャもキリスト教が国教となっていったのです。

 

このため、ローマ神であったオリュンピア大会は禁止されてしまったのです。

 

紀元369年の大会をもって、古代オリンピックは、姿を消してしまったのです。

 

れきお
そうか、キリスト教の広まりが古代オリンピックにとって命取りだったのか。

 

 

近代オリンピックとは?

近代オリンピックとは何?

(近代オリンピック創設者 ピエール・ド・クーベルタン 出典:wikipedia

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こうして古代オリンピックは、この世の中から姿を消してしまいました。

 

しかし、1700年の時を経て、ある人物が、立ち上がりました。

 

古代オリンピックを復活させようと声を上げたのです。

 

その人物とは、フランスの教育者ピエール・ド・クーベルタンという人物。

 

この人物が、およそ1700年ぶりにオリンピックという競技大会を世に復活させようと動き出したのです。

 

19世紀末、パリ大学で行われた会議でオリンピックの復活を提唱し、それが決議されました。

 

そして、1896年、古代ギリシャの首都でもあった「アテネ」で、第一回近代オリンピックが開催されることになったのです。

 

開催サイクルは、古代オリンピックと同様に4年に一回

 

最初は、夏の大会で夏季オリンピックだけでしたが、1924年からは、冬の競技のための冬季オリンピックも開催されるようになりました。

 

冬季オリンピックの第一回目は、1924年フランスのシャモニーで開催されました。

 

そして、障害者のためのスポーツ競技もやがて、「パラリンピック」としてオリンピックに組みこまれます。

 

【関連記事】冬季パラリンピックの歴史を簡単に!日本人選手のメダル数は?

 

ちなみに、パラリンピックの第一回目は、1960年のローマ大会でした。

 

こうして、現在のオリンピックが今に伝わるのです。^^

 

しかし、この近代オリンピックもそう簡単に復活してきたわけではなく、数々の試練を乗り越え今日にいたるのです。

 

その試練とはどんなものだったのでしょうか?

 

近代オリンピックの試練とは?

(オリンピックマーク 出典:wikipedia

 

最初のころは、資金集めに苦労していましたが、開催国ギリシャの協力のもと第一回目の開催はなんとか成功したのでした。

 

しかし、その後の1900年のパリ大会、1904年のセントルイス大会は、万博と重なり、メインは万博となってしまい、オリンピックはおまけ的な位置づけとなってしまったのです。

 

本格的に運営体制などが整って、オリンピックとして動き出したのが、1912年のストックホルム大会からなのです。

 

しかし、その後は順調だったかというと、むしろ、ここからが試練の始まりでした。

 

それは、第一次世界大戦と第二次世界大戦でした。

 

この二つの戦争のため、オリンピックが中止になることが3度あったそうです。

 

ですが、脈々とその間も現在の基盤となる「国を挙げてのメダル争い」の芽は徐々に芽吹いていったのです。

 

第一次大戦で中止となった1916年の「ベルリン大会」のあとの1920年。

 

アントワープ大会から、オリンピック旗が使われるようになりました。

 

オリンピック旗は、オリンピックマークが入った旗で、オリンピックの象徴であり、5つの輪で知られていますよね。

 

ところで、この5つの輪って、なにか分かりますか?

 

一応、おさらいしておきましょうね。^^

 

5つの輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニア5大陸を意味し、それぞれを重ね合わせることで、相互連帯、世界平和を表しているものです。

 

色は、左から青・黄・黒・緑・赤となっていますが、そもそも意味はないそうですよ。(笑)

 

このオリンピックマークは、ピエール・ド・クーベルタンが古代オリンピックの五輪の紋章にヒントを得て考案されたそうで、1914年のIOC設立20周年式典のときに発表されたのでした。

 

このマークは、今では当たり前ですが、発表されるまでには、長い年月がかかったのですね。

 

ちなみに、日本では、オリンピックを「五輪」と呼んだりしますね。

 

これは、宮本武蔵の「五輪の書」に由来しているそうですよ。

 

当時、読売新聞社の記者だった川本信正氏が、5つの輪から連想したのが宮本武蔵の「五輪の書」で、とっさにメモしたそうです。そして、それを見せたら、オリンピックは「五輪」という表現として、翌日の記事に使われたのだそうです。

 

たまたま、連想して思いつきで書いた「五輪」でしたが、川本さんが思いつかなかったら、なんてなっていたのでしょうね?^^

 

そして、選手村が出来たり、冬季オリンピックが開催されたり、開催期間が16日間前後となったり、聖火リレーがはじまったり、戦争にも負けず、今の基盤がどんどん整備されていったのです。

 

オリンピックは、万博のおまけという最初のころのイメージを払拭すべく、様々な整備が行われ、ようやくおまけ的な扱いから、国との力を競技で比べる国際社会的な競技へと認知されるようになってくるのです。

 

この時の様子が、1924年のパリ大会を描いたイギリス映画の「炎のランナー」を観ると詳しく分かりますよ。興味があれば、ぜひご覧くださいね。^^

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そうした盛り上がりが出来つつあったころに!

 

そう2度目の悪夢が起きました。

 

第二次世界大戦でした。

 

この大戦で、2度もオリンピックは中止を余儀なくされてしまうのです。

 

それは、1940年と1944年の2回。

 

実は、1940年は、東京でオリンピックが予定されていたのです。

 

知らなかった~^^;

 

1964年の東京オリンピックは有名ですが、実はそれよりもずっと前に東京で開催されることが決まっていたんですね。

 

ですが、この東京オリンピックは幻で終わってしまうのです。

 

それは、日本と中国との戦争である「支那事変」の影響でした。

 

このため、日本は、オリンピック開催を返上し、フィンランドのヘルシンキに場所が移動されました。

 

ですが、その直後、第二次世界大戦のために、オリンピック自体が中止に追い込まれたのです。

 

そして、その4年後の1944年も戦争は続いており、結局中止せざるを得ない状況だったのです。

 

ようやく、1948年のロンドン大会から再開されましたが、日本とドイツは敗戦国として、オリンピックには招待されなかったのです。

 

近代オリンピック戦後はどうなった?

ということで、第二次世界大戦が集結するまでの近代オリンピックの試練をお話してきました。

 

ここからは、ようやくオリンピックの活動が活発になっていきます。

 

1948年ロンドン大会から、それまでのスポーツと芸術という2つの柱があったのが、スポーツの祭典という古代オリンピックの権威を確立し、スポーツのみが行われることになったのです。

 

そして、1952年のヘルシンキ大会から「旧ソ連」も参加するようになり、アメリカとソ連の冷戦体制のもと、世界的な競技大会として、オリンピックは確立されたのです。

 

メダル争いも、アメリカとソ連どちらが取るのかという世界的な関心も熱を帯びて行くのです。

 

そして、飛行機の発達が、参加国や開催国を広げることにつながり、オーストラリアや日本など、ヨーロッパや北米以外での開催もされるようになりました。

 

その後は、2008年の北京大会、2016年のリオデジャネイロ大会などヨーロッパ、北欧以外での開催も記憶に新しいですよね。

 

そして、オリンピックが世界的に権威ある大会と認知されるに従い、開催する国の熾烈な争いにつながり、誘致活動などでも多額の金銭がかかるようになりました。しかし、国力のない国にとっては、オリンピックは財政的に負担になると考える国も増え始め、徐々に開催国に名乗りを上げる国も減り出したのです。

 

そうした問題をなんとか解決すべく、発想の転換が施され、オリンピックはただ技を競い合うだけのものではなく、観客に対して、魅せるものも取り入れていくという流れになってきました。

 

いわゆるショービジネスです。

 

それが実現されたのが1984年のロサンゼルスオリンピックでした。

 

今の開会式や閉会式の華麗なる見事なショーは、まさにこの機転からだったのですね。

 

ですので、派手な演出ができるお金持ちの国しかオリンピックはできなくなってきています。

 

国が破綻してしまっては身も蓋もないですからね。

 

でも、オリンピックは儲かると考える国は、どんどんヒートアップして、自国に人を呼び込もうとします。

 

2022年の冬季オリンピックの開催国に決定した「中国」は、まさにそうですよね。

 

【関連記事】冬季オリンピックの歴史を年表で!開催地や日本人選手のメダル数は?

 

2008年の夏季オリンピック、2022年の冬季オリンピックと夏・冬ともに同じ都市で開催されるのは、「北京」が初めてだそうです。

 

それだけ、中国・北京は莫大な資金をもっているんですね。

 

まあ、それはそれとして、

 

オリンピックは、観る側にとっても、どんな素晴らしい演技や演出があるのかとワクワクしますよね。

 

そういう演出は、競技をする選手たちにも最高のパフォーマンスを引き出す原動力にもなると思います。

 

これからのオリンピック、2018年の平昌オリンピック、2020年の東京オリンピックがどのような素晴らしいものを我々に見せてくれるのか楽しみですね。

 

日本はいつからオリンピックに参加したのか?

(日本人初のオリンピック出場選手・金栗四三 出典:wikipedia

 

では、最後に、日本は、いつからオリンピックに参加したのかですが、

 

それは、1912年のストックホルムオリンピックからです。

 

この時の日本代表選手は、たったの2人。

 

ともに陸上競技の選手で、

 

短距離走の「三島弥彦」と、マラソンの「金栗四三」です。

 

この金栗四三さん、マラソンの世界一遅い記録をもってらっしゃるんですね。^^;

 

その記録、なんと!

 

「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」

 

この素晴らしい?記録は、スウェーデンのストックホルムオリンピック開催55周年という記念式典による粋な計らいで実現した記録なのです。

 

実は、当時マラソン中に、日射病にかかり倒れてしまい、近くの農家で介抱を受けたらしいのです。

 

そのため、現場では「金栗」が消えた!と大騒ぎになったのです。

 

その後、金栗さんは、翌日目を覚ましたが、レースを諦めざるを得ず、そのまま日本に帰ってしまったのです。

 

ですが、現場では、金栗失踪!となってて、しばらく行方が分からなかったそうです。^^;

 

一応、レース棄権という扱いにはなっていたのでしょうけれど、そのあとも1920年のアントワープオリンピック、1924年のパリオリンピックにも、金栗さんは日本代表としてオリンピックに参加したり、日本の箱根駅伝に尽力したり、その後の金栗さんの陸上への貢献は凄まじいものがありました。

 

それを、スウェーデンでは、ストックホルムオリンピック開催55周年の実行委員の方が気づき、金栗さんを棄権のままにしておくのはおしいとして、この式典に金栗さんを招待して、ゴールさせたのでした。

 

これをもって、「ストックホルムオリンピック」は終了しました!

 

と終了宣言をしたのだそうですよ。

 

このため、ストックホルムオリンピックでの記録が「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」になったのだそうです。

 

なんとも感動的なエピソードじゃないですかT-T

 

ちなみに、この金栗四三さん。

 

来年2019年の大河ドラマ、「いだてん」の主人公の人ですよ。

 

こちらも楽しみですね。

 

大河ドラマを観るなら今のうちからこちらで準備しておいた方がいいかもよ(笑)

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ポイント
2019年の大河ドラマ いだてん〜東京オリムピック噺〜 演:中村勘九郎

 

2020年の東京オリンピックを前に、この「いだてん」を見ることで、日本が初めてオリンピックに参加した当時の様子が分かりますね。

 

どんな熱い思いがあったのか、いまから楽しみです。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

今回は、2018年2月から行われる冬季オリンピックの「平昌」を前に、オリンピックの歴史について振り返ってみました。

 

単にオリンピックというと、近代オリンピックのことであり、実は、オリンピックは、古代ギリシャの時代からあるものだということがお分かりいただけたかなと思います。

 

このあとは、歴代のオリンピックの開催地や種目、日本人選手の成績やメダルの数などについて別な記事でご紹介していく予定です。

 

このあともどうか楽しみにお待ち頂けましたら幸いです。

 

それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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