大和朝廷とヤマト王権・ヤマト政権の違いは何?わかりやすく解説
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僕が学生だった頃、卑弥呼の後の時代は、古墳時代で、大和朝廷という政権が国を治めていたと習った気がします。
しかし、近年、大和朝廷ではなく、ヤマト政権とかヤマト王権という呼称に変わってきているそうです。
なぜなのでしょうか?
普段あまり気にしないことですが、なぜかその違いについて気になってしまったので、調べてみました。^^
今回は、飛鳥時代までの政権の呼称を取り上げて、なぜ変わったのかをわかりやすく解説していきますね。
それでは、最後までごゆっくりどうぞ。^^
目次
古墳時代の政権
古墳時代の政治体制とは?
3世紀からはじまる古墳時代。
邪馬台国をはじめとして、島根県の出雲(いずも)、岡山県の吉備(きび)、群馬県の上毛野(かみつけの)、愛知県の尾張(おわり)、新潟県の越(こし)、宮崎県の日向(ひゅうが)など、全国各地に、同じような政治的役割をもつ国が発展していきました。
やがて、それらを統治する倭王が誕生し、その王を中心として各地のトップたちが共同で政治を行うようになっていったのです。
その規模が大きかった国が邪馬台国であり、各地のトップを統治する王こそ、卑弥呼だったのです。
そして、ときは流れ、邪馬台国は衰退し、強大化は薄れ、各地の国が力をつけてくるのです。
そのため、今で言う自民党と公明党の連立政権のような連立政権が生まれて、王を中心として、各地の国のトップが連立して政治を行う体制が出来上がっていったのです。
この政治体制を今までは大和朝廷と呼んでいたのです。
しかし、この呼称はなんか違和感があるとなって、名称が変わってしまったのです。
そもそも、大和朝廷もヤマト政権もヤマト王権もざっくり同じことを言っているのです。
ですが、それぞれ狭義の意味として、ちゃんと区分けされているようなのです。
その違いとは何なのでしょうか?
大和・ヤマトの意味とは?
そもそも、大和朝廷やヤマト王権など、「大和」もしくは「ヤマト」とはいったいどういう意味があるのでしょうか?
大和やヤマトの意味合いとしては、以下の3つがあるそうです。
- 大和 :国号「日本(倭)」の訓読(すなわち、古代の日本国家全体)
- 大和 :令制国としての「大和」(上述)
- ヤマト:奈良盆地東南部の三輪山麓一帯(すなわち令制大和国のうちの磯城郡・十市郡)
出典:wikipedia
1つ目は、広い意味で、日本を大和と呼んでいるということですね。
2つ目は、畿内の大和の国、現在の大阪府のあたりを大和の国と呼んでいるということです。
そして、3つ目は、大和の国のうち、特に政権の中心があったとされる地域をヤマトとするということです。大和の国の中の地域名なので、あえてカタカナ表記で「ヤマト」としているそうですよ。
大和朝廷・ヤマト政権・ヤマト王権の違いとは?
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それでは、それぞれの違いについて見ていきましょう。
大和朝廷
まずは、大和朝廷から見ていきましょうね。
実は、1970年代前半ころまでは、古墳時代を「大和時代」と呼んでいたそうです。
そして、この時代の政権を「大和朝廷」と呼んでいたのです。
しかし、1970年代後半以降、様々な発掘調査によって、重大な古墳が発見され、それまでの大和時代は、それこそ時代にそぐわないのではないかとなったのです。
そして、大和時代から「古墳時代」へと時代の呼称が変わっていったのです。
さらに、当時の政権の呼称であった「大和朝廷」も違和感が出てくるようになったのでした。
朝廷はそもそも、天皇を中心とした政治体制を表すものであって、天皇のいない古墳時代には合わないとなったのです。
そのため、1980年代以降は、大和政権、ヤマト政権となり、さらに、王を中心としていたということから、大和王権、ヤマト王権へと呼称が変わっていったのです。
それで、今は大和朝廷はどういう意味になったかというとですね、古墳時代後期から飛鳥時代にかけての天皇の政治、中央集権的な政治の体制を「大和朝廷」と呼ぶようになったのです。
もともとは、大和時代、古墳時代の政治体制を指していたのが、天皇を中心とした政治体制へと意味合いが変わっていったのです。
確かにこちらのほうがしっくりきますね。^^
大和政権・ヤマト政権、大和王権・ヤマト王権
では、続いて、大和政権・ヤマト政権、大和王権・ヤマト王権です。
この2つは、ほぼ同じ意味合いになっています。
「政権」の場合は、広い意味で、古墳時代の政治体制を呼ぶときに使うようで、「王権」はより厳密に表現する場合に呼ぶようです。
ですが、より、王を中心とするということから、ヤマト王権の方が広く使われているようですね。^^
現在では、古墳時代の政権は、ヤマト王権と呼ぶのが一般的なようです。
これは、古墳時代で大きな古墳として知られる、奈良県桜井市に所在する箸墓(はしはか)古墳(280メートル)や天理市にある西殿塚(にしとのづか)古墳(234メートル)などが奈良盆地南東部に存在していることから、中心は、ここだということで、先ほどの大和・ヤマトの意味合いの3番目の「ヤマト」が用いられるようになったのだそうですよ。
そのため、カタカナ表記の「ヤマト」の政権もしくは、王権となり、ヤマト政権・ヤマト王権と呼ぶようになったのでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、あまり意識しないようなことでしたが、気になったので調べてみました。
大和朝廷、ヤマト政権、ヤマト王権。
どれも広い意味では同じですので、どれを使おうがあまり違いは気になりませんがね。^^;
ですが、日本史のテストでは、ヤマト王権と答えるところを、大和朝廷と答えたら「✖」なのでしょうかね?
それも気になりますね。^^;
まずは、それぞれの違いについて、ザクっとでしたが、理解してもらえたなら嬉しいです。^^
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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