冬季パラリンピックの歴史を簡単に!日本人選手のメダル数は?
2018/02/01
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2018年は、冬季オリンピック開催の年。
そして、もうひとつ!
そう!
それは、冬季パラリンピックですね。^^
平昌パラリンピック開催に伴い、これまでの冬季パラリンピックの歴史を簡単に振り返りながら、日本人選手の活躍ぶり、メダルの数も見ていきましょう!
今回は、冬季パラリンピックの歴史ですよ^^
【関連記事】オリンピックの歴史とは?古代と近代の違いは?日本はいつから参加?
冬季パラリンピックの歴史を簡単に!
(2004年以降のパラリンピックシンボル 出典:wikipedia)
パラリンピックの起源は?
まずは、パラリンピック自体の起源から見ていきましょう。
20世紀初頭から、障害者スポーツの大会は、ちらほらあったようです。
その中のひとつに、イギリスの「ストーク・マンデビル病院」というところで開催された大会があります。
「ストーク・マンデビル競技大会」と呼ばれるもので、戦争で負傷した兵士のリハビリとして、手術をするよりも体を動かしましょう!という考えのもと開催されたのだそうです。
ストーク・マンデビル病院には、第二次世界大戦で負傷した軍人のリハビリ施設が専門にあり、医師としてドイツから亡命した「ルートヴィヒ・グットマン」という人物が、入院患者のリハビリ用に、アーチェリー大会を開こうと考え、実現されたのが、「ストーク・マンデビル競技大会」だったのです。
この大会は、1948年ロンドンオリンピックが開催された年に行われました。
最初は、純粋に入院患者だけで毎年行っていたものが、いつしか、他の病院の患者も参加するようになり、大会がどんどん大きくなっていったのです。
そして、1952年には、なんと!国際大会になるまでになったのでした。^^
すごいですよね。
あくまでひとつの病院でやっていたスポーツ大会が、いつしか、国際的なスポーツ大会へと発展したのですから。
ということで、この大会こそ、「パラリンピック」の起源となるのです。
この国際大会こそ、昔のパラリンピックそのものだったのです。
そして、グットマンさんは、「パラリンピックの父」とも呼ばれているんですよ。^^
その後、1960年の第9回国際ストーク・マンデビル競技大会のときに、グットマンさんを会長に、国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織されるんですが、この大会を「第1回パラリンピック」と今では呼ぶようになったのです。
そして、国際ストーク・マンデビル競技大会は、何度か名称を変えつつ、IOC(国際オリンピック委員会)が直接大会に関わることとなった1988年に、正式名称が「パラリンピック」と決まったのです。
国際ストーク・マンデビル競技大会という名称の時は、オリンピックとは別の開催地で行われていましたが、この1988年をもって、オリンピックと同じ開催地で行われるようになったのです。
1988年は、「ソウルオリンピック」です。
しかし、冬季オリンピックに関しては、1992年のアルベールビルオリンピックから同一開催地となりました。
ですので、それまでは、別の開催地だったのです。
冬季パラリンピックは、タイムラグがあったのですね。^^;
では、冬季オリンピックの開催地はどこだったのでしょうか?
冬季パラリンピックの開催地は?
1992年のアルベールビルオリンピックから冬季オリンピックと同じ開催地となりましたが、それまでは、別なところで開催されていました。
では、どこだったのでしょうか?
ざっと、まとめると。
回 | 年 | 開催都市 | 国 |
1 | 1976 | エーンシェルドスピーク | スウェーデン |
2 | 1980 | ヤイロ | ノルウェー |
3 | 1984 | インスブルック | オーストリア |
4 | 1988 | インスブルック | オーストリア |
5 | 1992 | アルベールビル | フランス |
6 | 1994 | リレハンメル | ノルウェー |
7 | 1998 | 長野 | 日本 |
8 | 2002 | ソルトレークシティ | アメリカ |
9 | 2006 | トリノ | イタリア |
10 | 2010 | バンクーバー | カナダ |
11 | 2014 | ソチ | ロシア |
12 | 2018 | 平昌 | 韓国 |
13 | 2022 | 北京 | 中国 |
(出典:wikipedia)
赤字のアルベールビルからは、冬季オリンピックと同じ都市での開催になりますが、それ以前は、ご覧のように冬季オリンピックとは別の都市での開催だったのですね。
【関連記事】冬季オリンピックの歴史を年表で!開催地や日本人選手のメダル数は?
パラリンピックの名前の由来は?
パラリンピックの名前ですが、
当初は、脊髄損傷等による下半身麻痺者を意味する「パラプレジア」という言葉とオリンピックを足した造語だったようですね。
で、この造語は、実は日本人が発案したのだそうですよ。でも誰だったのかは今となってはわからないんだそうです。もったいないですね。分かっていれば、今ころは、パラリンピックの兄くらいにはなってたかもしれないのに(笑)
その後、半身不随者以外も参加するようになったことから、パラレルワールドの「パラレル(平行)」とオリンピックの造語として新たな解釈が考案され、「もう一つのオリンピック」として位置づけになったのです。
冬季パラリンピックの日本人選手のメダルは?
それでは、次に、冬季パラリンピックでの日本人選手の活躍を見ていきましょうね。
大会ごとに見ていきますよ!^^
第1回 エーンシェルドスピークパラリンピック
この大会の正式名称は、「第1回国際身体障害者冬季競技大会」でした。
ですが、冬季のパラリンピックとして、第1回冬季パラリンピックとしているのですね。
栄えある第一回目の冬季パラリンピックには、日本人選手は不参加でした。
しかし、長野県の深沢定美さんという男性の方が個人で参加されたようです。
第2回 ヤイロパラリンピック
正式名称「第2回国際身体障害者冬季競技大会」
この大会から、日本人選手が参加するようになります。
参加選手は、「5名」でした。
参加競技は、以下の3競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- アイススレッジスピードレース
この大会では、メダルはまだ獲得出来ていません。
第3回 インスブルックパラリンピック
正式名称「第3回国際身体障害者冬季競技大会」
参加選手は、「12名」でした。
参加競技は、同じく以下の3競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- アイススレッジスピードレース
この大会でも、メダルはまだ獲得出来ていません。
第4回 インスブルックパラリンピック
正式名称「第4回国際身体障害者冬季競技大会」
参加選手は、「14名」でした。
参加競技は、バイアスロンが追加され4競技となりました。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- アイススレッジスピードレース
- バイアスロン
この大会で初めて日本人選手がメダルを獲得しましたよ。
色は「銅」。
メダル獲得選手は、以下の2名となります。
■銅メダル(2個)
- 池田 恵美子:アルペンスキー女子 大回転座位LW10
- 三野 勉 :アルペンスキー男子 大回転座位LW1
第5回 アルベールビルパラリンピック
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正式名称「第5回冬季パラリンピック」
この大会から、開催地が冬季オリンピックと同じ都市になり、正式名称も「冬季パラリンピック」となりました。
参加選手は、「15名」でした。
参加競技は、アイススレッジスピードレースが減り3競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
メダル獲得選手は、郷野敏子選手で銅メダルを2つ獲得でした。
■銅メダル(2個)
- 郷野敏子:アルペンスキー女子 スーパー大回転座位LW10-11
- 郷野敏子:アルペンスキー女子 回転座位LW10-11
第6回 リレハンメルパラリンピック
正式名称「第6回冬季パラリンピック」
参加選手は、「27名」でした。
参加競技は、アイススレッジホッケー、アイススレッジスピードレースが増え5競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
- アイススレッジスピードレース
メダル獲得選手は、この大会で日本人初の銀メダルを獲得しました。
■銀メダル(3個)
- 黒須高(アルペンスキー男子 大回転座位LWX)
- 四戸龍英(アルペンスキー男子 大回転座位LWX1)
- 四戸龍英(アルペンスキー男子 回転座位LWX1)
■銅メダル(3個)
- 黒須高(アルペンスキー男子 滑降座位LWX)
- 黒須高(アルペンスキー男子 回転座位LWX)
- 高村俊彦(アルペンスキー男子 回転座位LWX2)
第7回 長野パラリンピック
正式名称「第7回冬季パラリンピック」
日本で初の冬季パラリンピックの開催地となりました。
参加選手は、「70名」でした。
参加競技は、5競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
- アイススレッジスピードレース
メダル獲得選手は、この大会で日本人初の金メダルを獲得しました。しかも、メダルラッシュでしたね。圧巻ですよ。^^
■金メダル(12個)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子滑降座位)
- 武田豊(アイススレッジスピードスケート男子100m LW10)
- 武田豊(アイススレッジスピードスケート男子500m LW10)
- 武田豊(アイススレッジスピードスケート男子1000m LW10)
- 土田和歌子(アイススレッジスピードスケート女子1500m LW11)
- 土田和歌子(アイススレッジスピードスケート女子1000m LW11)
- 松江美季(アイススレッジスピードスケート女子500m LW10)
- 松江美季(アイススレッジスピードスケート女子1000m LW10)
- 松江美季(アイススレッジスピードスケート女子1500m LW10)
- 渡辺敏貴(アイススレッジスピードスケート男子1500m LW10)
- 志鷹昌浩(アルペンスキー男子回転座位)
- 小林深雪(伴走ー中村由紀) (バイアスロン女子7.5km視覚障害)
■銀メダル(16個)
- 安彦諭(距離男子5kmクラシカルIDクラス)
- 青木辰子(アルペンスキー女子回転座位)
- 奥山京子(アイススレッジスピードスケート女子1500m LW11)
- 奥山京子(アイススレッジスピードスケート女子1000m LW11)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子スーパー大回転座位)
- 野沢英二(バイアスロン男子7.5km LW10)
- 金井良枝(アイススレッジスピードスケート女子1500m LW10)
- 奥原明男(アイススレッジスピードスケート男子100m LW10)
- 加藤正(アイススレッジスピードスケート男子500m LW11)
- 加藤正(アイススレッジスピードスケート男子1000m LW11)
- 武田豊(アイススレッジスピードスケート男子1500m LW10)
- 土田和歌子(アイススレッジスピードスケート女子100m LW11)
- 土田和歌子(アイススレッジスピードスケート女子500m LW11)
- 中村博之(アイススレッジスピードスケート男子1500m LW11)
- 松江美季(アイススレッジスピードスケート女子100m LW10)
- 山口善久(アイススレッジスピードスケート男子100m LW11)
■銅メダル(13個)
- 奥山京子(アイススレッジスピードスケート女子100m LW11)
- 奥山京子(アイススレッジスピードスケート女子500m LW11)
- 奥原明男(アイススレッジスピードスケート男子500m LW10)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子回転座位)
- 加藤正(アイススレッジスピードスケート男子1500m LW11)
- 金井良枝(アイススレッジスピードスケート女子100m LW10)
- 金井良枝(アイススレッジスピードスケート女子1000m LW10)
- 金井良枝(アイススレッジスピードスケート女子500m LW10)
- 桑原明美(アイススレッジスピードスケート女子1500m LW11)
- 篠原広樹(距離男子20kmクラシカルIDクラス)
- 中村博之(アイススレッジスピードスケート男子1000m LW11)
- 山口善久(アイススレッジスピードスケート男子500m LW11)
- 渡辺敏貴(アイススレッジスピードスケート男子1000m LW10)
第8回 ソルトレイクシティパラリンピック
正式名称「第8回冬季パラリンピック」
参加選手は、「36名」でした。
参加競技は、4競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
メダル獲得選手は、銅メダルを獲得しました。
■銅メダル(3個)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子/大回転座位)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子/回転座位)
- 新田佳浩(ノルディックスキー男子/クロスカントリークラシカル5km立位)
第9回 トリノパラリンピック
正式名称「第9回冬季パラリンピック」
参加選手は、「40名」でした。
参加競技は、車いすカーリングが増え、5競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
- 車いすカーリング
メダル獲得選手は、金・銀・銅メダルを獲得しました。大躍進でしたね。
■金メダル(2個)
- 小林深雪(ノルディックスキー女子/バイアスロン12.5km視覚障害)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子/大回転座位)
■銀メダル(5個)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子/滑降座位)
- 大日方邦子(アルペンスキー女子/スーパー大回転座位)
- 小林深雪(ノルディックスキー女子/バイアスロン7.5km視覚障害)
- 東海将彦(アルペンスキー男子/大回転立位)
- 森井大輝(アルペンスキー男子/大回転座位)
■銅メダル(2個)
- 太田渉子(ノルディックスキー女子/バイアスロン12.5km立位)
- 青木辰子(アルペンスキー女子/回転座位)
第10回 バンクーバーパラリンピック
正式名称「第10回冬季パラリンピック」
参加選手は、「41名」でした。
参加競技は、5競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
- 車いすカーリング
メダル獲得選手は、金・銀・銅メダルを獲得しました。
■金メダル(3個)
- 新田佳浩 (クロスカントリースキー/10kmクラシカル )
- 新田佳浩 (クロスカントリースキー/1kmスプリント )
- 狩野 亮(アルペンスキー/スーパーG)
■銀メダル(3個)
- 森井大輝(アルペンスキー/ダウンヒル)
- 太田渉子(クロスカントリースキー/1kmスプリント)
- 日本 (アイススレッジホッケー)
■銅メダル(5個)
- 森井大輝(アルペンスキー/スーパーG)
- 鈴木猛史(アルペンスキー/ジャイアントスラローム)
- 狩野 亮(アルペンスキー/ダウンヒル)
- 大日方邦子(アルペンスキー/ジャイアントスラローム)
- 大日方邦子(アルペンスキー/スラローム)
第11回 ソチパラリンピック
正式名称「第11回冬季パラリンピック」
参加選手は、「20名」でした。
参加競技は、5競技でした。
- アルペンスキー
- クロスカントリースキー
- バイアスロン
- アイススレッジホッケー
- 車いすカーリング
メダル獲得選手は、金・銀・銅メダルを獲得しました。
■金メダル(3個)
- 狩野 亮(アルペンスキー/ダウンヒル)
- 狩野 亮(アルペンスキー/スーパーG)
- 鈴木猛史(アルペンスキー/スラローム)
■銀メダル(1個)
- 森井 大輝(アルペンスキー/スーパーG)
■銅メダル(2個)
- 久保 恒造(バイアスロン/ショート(7.5Km))
- 鈴木猛史(アルペンスキー/ダウンヒル)
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、2018年平昌パラリンピックの開催に伴い、これまでの冬季パラリンピックの歴史と日本人選手の活躍ぶりを獲得数で見てきました。
2018年平昌パラリンピック、そして、そのあとの2022年北京パラリンピックでは、日本人選手はどのくらいメダルを獲得するのか楽しみですね。
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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