元号(年号)の決め方や変わる理由とは?歴代年号も一覧で紹介!
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平成の時代が終わろうとしています。
今上天皇(平成天皇)が退位を表明され、平成31年(2019年3月)を持って、平成の時代が終わるとのこと。^^;
平成のあとの元号が何になるのか気になりますよね?
また、その元号(年号)ってどうやって決められているのか、なぜ変える必要があるのかも気になります。
今回は、元号の歴史について、元号の決め方や変わってきた理由、そして、これまでの年号も簡単にわかりやすく一覧でまとめてみました。
どうぞ、最後までごゆっくりどうぞ。^^
目次
元号(年号)とは?
そもそも、元号や年号って何なのでしょうか?
wikipediaによれば、こうあります。
元号(げんごう)は、特定の年代に年を単位として付けられる称号である。年号(ねんごう)とも呼ばれることもあるが、元号のみならず、紀年法の名称(西暦や皇紀など)を「年号」と呼ぶ場合もある。
出典:wikipeida
元号と年号ってどう違う?
先ほどの例でも示したとおり、一般的には、元号も年号も同じ意味で使われることが多いです。
使い分けると言うよりも、なんとなくどちらかを使うという感じですかね?^^;
ほとんど気にしたことがないという人も多いかもしれません。
歴史学の世界でも、諸説あるようで、「これだ!」というものはないそうですよ。^^;
ただし、あえて、切り分けて使うならば、このようなイメージだと思います。
元号の「元」は、ことの始まりを意味します。
また、「号」は、名前という意味になります。
つまり、ある期間のはじまりの名前ということになり、極端な話をすると、元年の名前を「元号」、そこから何年経ったかという期間を表すものが「年号」かなと思います。
そのため、元号を改めることを「改元」と呼んでいて、元年の名前を変えるとなるのではないかなと思います。「改年」とは呼ばないですよね?^^;
ちなみに、英語だと、元号は「finite era name」や「regnal year」、年号は「era name」となっているそうです。
まあ、いずれにしても、元号でも年号でも違いはないので、気にするほどでもないですけどね。^^
元号の歴史とは?
元号は、紀年法と呼ばれる「年を数えたり、記録する方法」の一種になります。ちなみに、西暦も紀年法の一種です。
元号は、西暦などのようにずっと続くような数え方ではなく、天皇の即位やおめでたいことがあったとか、天災などの災いが起こったときなどに年の数値をクリアし、また元年から数えなおす方法になっています。
元号は、日本をはじめ、中国や朝鮮、ベトナムなども使用したようですが、今も正式に元号を使用しているのは、日本だけのようですね。^^
今となっては、元号は、日本独自の紀年法であり、独立国家であることを象徴するものになっているのです。
西暦に対して、「和暦」と呼ばれることもあります。
日本の元号は、大化の改新からと言われています。
孝徳天皇が、「天下安寧を願い、大化の改新を進めていくため」に「大化」という元号を用いたのが、日本で初めて制定された元号なのです。
鎌倉幕府の滅亡から室町幕府初期のころにかけて起こった「南北朝時代」は特殊で、南朝と北朝のそれぞれの天皇の即位等によって改元が行われ、それぞれで元号が使われていました。
南北朝が統一されてからは一本化されましたけど、このころは複雑ですよね。^^;
そんな日本独自の元号ですが、戦後の直後は日本も元号を廃止したほうが良いという話もあったようです。
第二次世界大戦に敗れた日本は、1945(昭和20年)をもって「昭和」をやめ、新たに「新日本」と改元して永年にすべきと主張する人と、元号を廃止し西暦だけでよいと主張する人が熱くぶつかっていたのです。
ですが、結局元号は、国民にも浸透していて、廃止する理由がないということから廃止されなかったのです。そして、元号も改元されることなくそのまま「昭和」で行くことになったのでした。
「新日本」という元号が通っていれば、昭和64年まではなかったんですね。^^;
新日本44年となったのでしょうかね?
それから、1979年(昭和54年)に「元号法」という法律が制定され、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」とされ、明治以降の「一世一元の制」が踏襲されるようになったのです。
そして、元号法では、元号の決め方についても定義されることになったのです。
元号の決め方とは?
元号法が制定され、元号の決め方についてもきっちり明記されています。
元号を決めるためのルール(前提条件)
元号を決めるためには、ルールが必要になります。
つまり、前提条件ですね。
その前提条件というものが6項目あります。それが以下の項目になります。
- 国民の理想としてふさわしいようなよい意味を持つものであること。
- 漢字2字であること。
- 書きやすいこと。
- 読みやすいこと。
- これまでに元号又はおくり名として用いられたものでないこと。
- 俗用されているものでないこと。
出典:wikipedia
ざっと、漢字2文字で、ダブリがないもの。そして、分かりやすいものとなります。
まあ、当たり前と言えば、当たり前ですね。^^;
漢字2文字というのは、ポリシーのようなものですが、同じ名前が使われていれば、元号だけではいつの時代か分からなくなってしまいますからね。
ちなみに、なぜ漢字2文字なのかは不明ですが、覚えやすいからなんでしょうか?
確かに、歴史をたどると、元号って2文字ばかりですよね。昔からなんですね。
しかし、特殊な例として、奈良時代の天平時代には、4文字の元号が使用されていた時もありましたが、それ以降は、全て2文字になっています。^^
元号の決め方とは?
では、元号の決め方はどのような手続きを踏むのでしょうか?
流れは、このようになっています。
- 候補名の考案
- 候補名の整理
- 原案の選定
- 新元号の決定
候補名の考案
内閣総理大臣が何人かの有識者を選定し、候補名を考案させます。
その後、各有識者は元号の候補名を5つ程度考案し、内閣官房長官に提出します。
候補名の整理
内閣官房長官は、提出された候補名を検討・整理し、その候補名を内閣総理大臣に報告する。
原案の選定
整理された候補名を内閣官房長官や内閣法制局長官らが審議し、原案として数個の案を選定します。
新元号の決定
そして、内閣総理大臣は元号の原案を衆議院および参議院の議長や副議長から意見を聴いてから、いいんじゃないの?となれば、閣議によって「改元の政令の決定」という形で元号が決定されるのです。
元号が変わる3つの理由とは?
元号は、大化の改新の「大化」から数えて、「平成」で249個存在します。
そして、元号が変わってきた理由を集約すると、以下の3つの理由によるものとなります。
- 天皇の即位のため
- おめでたいことがあったため(天皇の即位を除く)
- 災いがあったため
天皇の即位のため元号が変わるのは、今の時代もそうなっているので分かりますよね?^^
そして、それに加え、金が献上されたと言ったように、めでたい理由で元号が変わったり、地震や火災、飢饉、戦いなどによってもたらされた災いを改めるために元号が変わったりしていたのです。
但し、めでたい理由で改元されていたのは、平安時代初期の頃までのようです。
それ以降は、天皇の即位と災いを改めるために元号を変えていたようですね。
天皇の即位は別として、災いを克服するために用いてきた手段が「改元」だったのですね。
心機一転という言葉がありますが、まさにこのことかもしれませんね。
新しくなれば、何かが変わるかも知れないという期待感ですよね。^^
歴代の年号を一覧でご紹介
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それでは、これまでの年号を時代別にご紹介しますね。^^
飛鳥時代
飛鳥時代の元号は期間が不明なものも含めて「8個」あります。
日本で初めて元号が使われた時代です。大化の改新(赤字)から元号がスタートしました。
- 大化 645-650
- 白雉 650-654
- 白鳳 ?
- 朱雀 ?
- 朱鳥 686
- 大宝 701-704
- 慶雲 704-708
- 和銅 708-715
奈良時代
奈良時代の元号は「12個」あります。
天平年間は、日本史上4文字の元号が使われた期間(赤字)でもありました。とても珍しい元号ですよ。^^
- 霊亀 715-717
- 養老 717-724
- 神亀 724-729
- 天平 729-749
- 天平感宝 749
- 天平勝宝 749-757
- 天平宝字 757-765
- 天平神護 765-767
- 神護景雲 767-770
- 宝亀 770-781
- 天応 781-782
- 延暦 782-806
平安時代
平安時代の元号は「88個」あります。
平安時代は、元号がもっとも多い時代ですね。
- 大同 806-810
- 弘仁 810-824
- 天長 824-834
- 承和 834-848
- 嘉祥 848-851
- 仁寿 851-854
- 斉衡 854-857
- 天安 857-859
- 貞観 859-877
- 元慶 877-885
- 仁和 885-889
- 寛平 889-898
- 昌泰 898-901
- 延喜 901-923
- 延長 923-931
- 承平 931-938
- 天慶 938-947
- 天暦 947-957
- 天徳 957-961
- 応和 961-964
- 康保 964-968
- 安和 968-970
- 天禄 970-974
- 天延 974-976
- 貞元 976-978
- 天元 978-983
- 永観 983-985
- 寛和 985-987
- 永延 987-989
- 永祚 989-990
- 正暦 990-995
- 長徳 995-999
- 長保 999-1004
- 寛弘 1004-1013
- 長和 1013-1017
- 寛仁 1017-1021
- 治安 1021-1024
- 万寿 1024-1028
- 長元 1028-1037
- 長暦 1037-1040
- 長久 1040-1044
- 寛徳 1044-1046
- 永承 1046-1053
- 天喜 1053-1058
- 康平 1058-1065
- 治暦 1065-1069
- 延久 1069-1074
- 承保 1074-1077
- 承暦 1077-1081
- 永保 1081-1084
- 応徳 1084-1087
- 寛治 1087-1095
- 嘉保 1095-1097
- 永長 1097-1097
- 承徳 1097-1099
- 康和 1099-1104
- 長治 1104-1106
- 嘉承 1106-1108
- 天仁 1108-1110
- 天永 1110-1113
- 永久 1113-1118
- 元永 1118-1120
- 保安 1120-1124
- 天治 1124-1126
- 大治 1126-1131
- 天承 1131-1132
- 長承 1132-1135
- 保延 1135-1141
- 永治 1141-1142
- 康治 1142-1144
- 天養 1144-1145
- 久安 1145-1151
- 仁平 1151-1154
- 久寿 1154-1156
- 保元 1156-1159
- 平治 1159-1160
- 永暦 1160-1161
- 応保 1161-1163
- 長寛 1163-1165
- 永万 1165-1166
- 仁安 1166-1169
- 嘉応 1169-1171
- 承安 1171-1175
- 安元 1175-1177
- 治承 1177-1181
- 養和 1181-1182
- 寿永 1182-1184
- 元暦 1184-1185
鎌倉時代
鎌倉時代の元号は「50個」あります。
鎌倉時代の後期、つまり南北朝時代になるにあたり、「元徳」という年号から(赤字)は、大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)でそれぞれ期間が異なっていたり、元号が違っています。
- 文治 1185-1190
- 建久 1190-1199
- 正治 1199-1201
- 建仁 1201-1204
- 元久 1204-1206
- 建永 1206-1207
- 承元 1207-1211
- 建暦 1211-1214
- 建保 1214-1219
- 承久 1219-1222
- 貞応 1222-1224
- 元仁 1224-1225
- 嘉禄 1225-1228
- 安貞 1228-1229
- 寛喜 1229-1232
- 貞永 1232-1233
- 天福 1233-1234
- 文暦 1234-1235
- 嘉禎 1235-1238
- 暦仁 1238-1239
- 延応 1239-1240
- 仁治 1240-1243
- 寛元 1243-1247
- 宝治 1247-1249
- 建長 1249-1256
- 康元 1256-1257
- 正嘉 1257-1259
- 正元 1259-1260
- 文応 1260-1261
- 弘長 1261-1264
- 文永 1264-1275
- 建治 1275-1278
- 弘安 1278-1288
- 正応 1288-1293
- 永仁 1293-1299
- 正安 1299-1302
- 乾元 1302-1303
- 嘉元 1303-1307
- 徳治 1307-1308
- 延慶 1308-1311
- 応長 1311-1312
- 正和 1312-1317
- 文保 1317-1319
- 元応 1319-1321
- 元亨 1321-1324
- 正中 1324-1326
- 嘉暦 1326-1329
- 元徳 1329-1331(大覚寺統)
- 元徳 1329-1332(持明院統)
- 元弘 1331-1334(大覚寺統)
- 正慶 1332-1333(持明院統)
室町時代
室町時代の年号は「36個」あります。
室町時代の初期は、南北朝時代であり、南朝と北朝でそれぞれ天皇が存在し、元号もそれぞれ存在していました。
- 建武 1334-1336(南朝)
- 建武 1334-1338(北朝)
南朝
- 延元 1336-1340
- 興国 1340-1347
- 正平 1347-1370
- 建徳 1370-1372
- 文中 1372-1375
- 天授 1375-1381
- 弘和 1381-1384
- 元中 1384-1392
北朝
- 暦応 1338-1342
- 康永 1342-1345
- 貞和 1345-1350
- 観応 1350-1352
- 文和 1352-1356
- 延文 1356-1361
- 康安 1361-1362
- 貞治 1362-1368
- 応安 1368-1375
- 永和 1375-1379
- 康暦 1379-1381
- 永徳 1381-1384
- 至徳 1384-1387
- 嘉慶 1387-1389
- 康応 1389-1390
- 明徳 1390-1394
南北朝統一後
- 応永 1394-1428
- 正長 1428-1429
- 永享 1429-1441
- 嘉吉 1441-1444
- 文安 1444-1449
- 宝徳 1449-1452
- 享徳 1452-1455
- 康正 1455-1457
- 長禄 1457-1461
- 寛正 1461-1466
- 文正 1466-1467
戦国時代
戦国時代の元号は「13個」あります。
戦国時代の期間を特定するのは難しいですが、織田信長が浅井長政を滅ぼした小谷城の戦いあたりの天正からを安土・桃山時代としていることから、それに倣いますね。
また、応仁の乱があった「応仁」は、戦国のきっかけとなったことから、戦国時代に含めています。
- 応仁 1467-1469
- 文明 1469-1487
- 長享 1487-1489
- 延徳 1489-1492
- 明応 1492-1501
- 文亀 1501-1504
- 永正 1504-1521
- 大永 1521-1528
- 享禄 1528-1532
- 天文 1532-1555
- 弘治 1555-1558
- 永禄 1558-1570
- 元亀 1570-1573
安土・桃山時代
安土・桃山時代の元号は「3個」あります。
この時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という戦国の3英傑が築き上げた時代でもありますね。
- 天正 1573-1593
- 文禄 1593-1596
- 慶長 1596-1615
江戸時代
江戸時代の元号は「35個」あります。
江戸時代が終わってからは、天皇の即位のみ元号が変わるようになっていますね。
- 元和 1615-1624
- 寛永 1624-1645
- 正保 1645-1648
- 慶安 1648-1652
- 承応 1652-1655
- 明暦 1655-1658
- 万治 1658-1661
- 寛文 1661-1673
- 延宝 1673-1681
- 天和 1681-1684
- 貞享 1684-1688
- 元禄 1688-1704
- 宝永 1704-1711
- 正徳 1711-1716
- 享保 1716-1736
- 元文 1736-1741
- 寛保 1741-1744
- 延享 1744-1748
- 寛延 1748-1751
- 宝暦 1751-1764
- 明和 1764-1772
- 安永 1772-1781
- 天明 1781-1789
- 寛政 1789-1801
- 享和 1801-1804
- 文化 1804-1818
- 文政 1818-1831
- 天保 1831-1845
- 弘化 1845-1848
- 嘉永 1848-1855
- 安政 1855-1860
- 万延 1860-1861
- 文久 1861-1864
- 元治 1864-1865
- 慶応 1865-1868
現代
現代の元号は「4個」あります。
明治、大正、昭和、平成ですよね。
- 明治 1868-1912
- 大正 1912-1926
- 昭和 1926-1989
- 平成 1989-2019?
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、元号(年号)について、その決め方や変わる理由、そして、これまでの年号について簡単にわかりやすく一覧でまとめてみました。
平成31年3月で平成が終わる可能性が高いです。
そのあとの元号は、いったい何という名前になるのでしょうね。
発表は、2018年の夏ころと言われています。
どうなるのでしょうね。
それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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