冬季オリンピックの歴史を年表で!開催地や日本人選手のメダル数は?
2018/02/01
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2018年2月から、冬季オリンピックが開催されますね。
今度は、「平昌」!
これ、ひらまさって読みますよね?
え?ひらまさって、あの逃げ恥の?
と、一瞬反応したあなた!僕と同じですね(笑)
ピョンチャンと読みますが、検索するときも「ひらまさオリンピック」ってキーワードを打つ人が多いみたい^^;
それだけ、漢字変換が面倒くさいのか、「ひらまさ」だからか分かりませんが、いずれにしても、2018年は韓国の「平昌(ピョンチャン)」で開催されます。
そこで、冬季オリンピックのこれまでの歴史を年表形式で振り返り、日本人選手の活躍ぶりを見ていきましょう!
冬季オリンピックのマメ知識として、へぇ~って思っていただけたら幸いです。^^
【関連記事】冬季パラリンピックの歴史を簡単に!日本人選手のメダル数は?
では、どうぞ!
冬季オリンピックの歴史を年表で!
(冬季オリンピックの開催地 出典:wikipedia)
冬季オリンピックの開催地を年表で!
まずは、開催地を一覧で分かりやすくまとめますね。
回 | 年 | 開催都市 | 国 |
1 | 1924 | シャモニー | フランス |
2 | 1928 | サンモリッツ (1) | スイス |
3 | 1932 | レークプラシッド (1) | アメリカ |
4 | 1936 | ガルミッシュパルテンキルヒェン | ドイツ |
中止 | 1940 | 札幌 | 日本 |
中止 | 1944 | コルチナ・ダンペッツオ | イタリア |
5 | 1948 | サンモリッツ (2) | スイス |
6 | 1952 | オスロ | ノルウェー |
7 | 1956 | コルチナ・ダンペッツオ | イタリア |
8 | 1960 | スコーバレー | アメリカ |
9 | 1964 | インスブルック (1) | オーストリア |
10 | 1968 | グルノーブル | フランス |
11 | 1972 | 札幌 | 日本 |
12 | 1976 | デンバー → インスブルック (2) |
アメリカ →オーストリア |
13 | 1980 | レークプラシッド (2) | アメリカ |
14 | 1984 | サラエボ | ユーゴスラビア |
15 | 1988 | カルガリー | カナダ |
16 | 1992 | アルベールビル | フランス |
17 | 1994 | リレハンメル | ノルウェー |
18 | 1998 | 長野 | 日本 |
19 | 2002 | ソルトレークシティ | アメリカ |
20 | 2006 | トリノ | イタリア |
21 | 2010 | バンクーバー | カナダ |
22 | 2014 | ソチ | ロシア |
23 | 2018 | 平昌 | 韓国 |
24 | 2022 | 北京 | 中国 |
(出典:wikipedia)
冬季オリンピックの歴史を簡単に
第一回大会は、1924年のシャモニーです。
日本人選手が出場したのは、第二回大会のサンモリッツオリンピックからとなります。
そして、2018年の平昌オリンピックは、第23回目の冬季オリンピックで、2018年1月時点で決定している開催地は、第24回2022年の北京までです。
実は、夏季、冬季通して同じ開催地となるのは、「北京」が初めてなんです。
莫大な資金力を基盤に、北京は冬季オリンピックも誘致に成功したのです。
恐るべし、中国!^^
冬季オリオンピックは、1940年と1944年は、第二次世界大戦の影響により、中止となってしまいましたが、第1回シャモニーオリンピックから第16回アルベールビルオリンピックまで、夏季オリンピックと同じ年に開催されていました。
現在のように夏季オリンピックの2年後に開催されるようになったのは、第17回リレハンメルオリンピックからなのです。
ちなみに、中止となった1940年は、実は夏季は東京、冬季は札幌が予定されていましたが、中国との戦争のため日本での開催が断念され、やがて、第二次世界大戦の影響によって、オリンピック自体が中止に追い込まれました。
これによって、1940年は、日本での幻のオリンピックとなってしまったのです。
なんとも残念ですね。
しかし、夏季では1964年、そして2020年に東京での開催、冬季では1972年に札幌、1998年には長野での開催が決まり、日本でのオリンピックはそれぞれ2回ずつ開催されるのでした。
これはすごいことですよ!
※2020年東京オリンピックは、まだ未来の話ですがね。^^;
※もっと詳しくオリンピックを知りたい方は、こちらが参考になりますよ。^^
オリンピックの歴史とは?古代と近代の違いは?日本はいつから参加?
日本人選手の成績やメダルの数を年表で!
日本の初参加はいつから?
(クロスカントリー 出典:wikipedia)
まず、1924年の第1回シャモニー大会では、1923年に起こった関東大震災の被害が甚大なことから、日本は参加を見送りました。
ですので、記念すべき第一回大会には、日本は参加できませんでした。
日本が参加したのは、次の1928年の第2回サンモリッツ大会からになります。
この時の日本代表選手は、6人で、ノルディックスキー種目に参加しました。
このときの成績は、クロスカントリースキー男子50kmで、永田実(ながたみのる)選手の24位が最高位でした。
日本人初の入賞者は?
日本人が初めて、入賞を勝ち取った瞬間は、1936年の第4回ガルミッシュ・パルテンキルヒェン大会でした。
その入賞者とは?
スピードスケート男子500mに出場した「石原省三(いしはらしょうぞう)」選手でした。
(石原省三選手 出典:wikipedia)
石原選手は、日本人として、はじめて、4位に入り冬季オリンピック初の入賞を果たしたのです。
メダルまであと一歩のところまで来ましたね~。^^
ちなみに、この大会で、フィギュアスケートに12歳(小学6年生)の稲田悦子(いなだえつこ)選手が出場し、10位と健闘しました。
(稲田悦子選手 出典:wikipedia)
当時は、浅田真央ちゃんと同じように日本国民のアイドルだったのでしょうね?
日本人初のメダリストは?
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日本人初のメダルは、何色だったのでしょう?
分かりますか?
実は、
銀色だったんですよ。
いきなり、すごくないですか?
銅を通り越して、いきなり「銀」を獲得したのです。
で、誰が獲得したのかというと、
1956年の第7回コルチナ・ダンペッツオオリンピックで、「猪谷千春(いがやちはる)」選手がアルペンスキー男子回転で見事2位につけて、銀メダルを獲得したのです。
(猪谷千春選手 出典:wikipedia)
実は、このとき猪谷選手は、故障明けだったにも関わらず銀メダルを獲得したことで、一躍ヒーローだったと思います。
ちなみに、後に猪谷選手は、IOC(国際オリンピック委員会)の委員になられたそうですよ。
もちろんJOC(日本オリンピック委員会)でも理事を務められたのでした。
その後のオリンピックの発展に尽力されたんですね。^^
日本人初の金と銅メダリストは?
(日の丸飛行隊の切手 出典:wikipedia)
じゃあ、銀メダルを獲得したのなら、次はやはり「金」が欲しいですよね?^^
この金メダルは、いったい誰が一番最初に獲得したのでしょうか?
それは、
ときは、1972年の第11回札幌大会。
そして、この記念すべき日本での冬季オリンピックのときに、快挙が起きたのでした。
なんと!
スキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル)で、金銀銅メダルを日本勢が独占してしまったのです。
もうお祭り騒ぎでしたよね。(笑)
幻だった1940年の札幌オリンピックから32年の歳月を経て、1972年に復活した札幌オリンピック。
この記念すべき大会で、日本勢が快挙を成し遂げたのです。
その時の選手が、
1位:笠谷幸生(かさやゆきお)選手
2位:金野昭次(こんのあきつぐ)選手
3位:青地清二(あおちせいじ)選手
でした。
つまり、笠谷幸生選手が日本人初の金メダリスト。
そして、青地清二選手が日本人初の銅メダリストとなったのです。
さらに、この快挙を成し遂げたジャンプ陣に対して、この時から「日の丸飛行隊」と呼ぶようになったのです。
1998年の長野オリンピックでも日の丸飛行隊の活躍は凄かったですけど、1972年の札幌オリンピックでもすごかったんですね。
日本人の金メダリストは?
では、せっかくなので、日本人の金メダリストをご紹介しておきましょうね。^^
全て敬称略とさせていただきますね。
1972年札幌オリンピック
- 笠谷幸生:スキージャンプ70m級
1992年アルベールビルオリンピック
- 日本(三ヶ田 礼一(みかた れいいち)、河野 孝典(こうの たかのり)、荻原 健司(おぎわら けんじ)):スキーノルディック複合団体
※団体種目で初の金メダルを獲得
1994年リレハンメルオリンピック
- 日本(阿部 雅司(あべ まさし)、河野 孝典(こうの たかのり)、荻原 健司(おぎわら けんじ)):スキーノルディック複合団体
※連覇を達成!
1998年長野オリンピック
- 清水宏保:スピードスケート男子500m
- 里谷多英:フリースタイルスキー女子モーグル
- 船木和喜:スキージャンプラージヒル
- 日本(岡部、斉藤、原田、船木):スキージャンプラージヒル団体
- 西谷岳文:ショートトラックスピードスケート男子500m
※さすがの長野オリンピックですね。圧巻です!
ちなみに、里谷多英選手は、日本人女子として、初の金メダル獲得でした。
2006年トリノオリンピック
- 荒川静香:フィギュアスケート女子シングル
※今では解説者としてもおなじみですよね。イナバウワーが話題になりました。^^
仙台出身で、荒川静香さんが住んでいたところと僕と家が近いんですよ。(笑)
どうでもいい話ですね。(汗)
2014年ソチオリンピック
- 羽生結弦:フィギュアスケート男子シングル
来ました~!
我らがゆづ!怪我が心配されましたが、なんとか快復されて、あとは2連覇に期待がかかりますね。
清明を楽しみにしています。^^
日本フィギュアスケート発祥の地はなぜ五色沼(仙台城三の丸)か?
日本人選手のメダル数は?
最後に、金銀銅それぞれ、日本人選手が2014年のソチオリンピックまでにいくつ獲得したのかをその数でご紹介しましょうね。
個人・団体含めての数としますね。
- 金メダル:10個
- 銀メダル:17個
- 銅メダル:18個
(出典:wikipedia)
合計で45個になります。
2018年の平昌オリンピックではいくつメダルを獲得できるでしょうね?
楽しみですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、冬季オリンピックとの歴史を年表形式でご紹介してきました。
また、日本人選手の成績については、日本人初という視点で見てみました。
日本人が初めて獲得したメダルというのはどんな思いが詰まっていたんでしょうね。
これからの日本人選手の活躍に期待します。
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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