サン・ファン・イルミネーションツリー2017-2018!期間やアクセスは?
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伊達政宗が家臣・支倉常長(はせくら つねなが)に託した野望。
その野望を叶えるため、常長は「サン・ファン・バウティスタ号」に乗り、ヨーロッパへと旅立ったのでした。^^
これが世に言う、「慶長遣欧使節」です。今から約400年前のことです。
支倉常長が伊達政宗の夢を乗せて、宮城県石巻の「月浦」という港からヨーロッパへ向けて出航しました。
そのサン・ファン・バウティスタ号は石巻で復元され、1993年(平成5年)に完成したのです。
それ以来、宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)から太平洋を臨みながら停泊しています。
そして、毎年、12月になると、サン・ファン・バウティスタ号が約1万球のイルミネーションで黄金色に染まります。
今回は、サン・ファン・バウティスタ号のイルミネーションの期間やアクセスについて、また、伊達政宗の野望についても簡単にご紹介してみますね。^^
それでは、最後までごゆっくりどうぞ。
目次
サン・ファン・イルミネーションツリーの期間やアクセスは?
(サン・ファン・バウティスタ号のイルミネーション 出典:サン・ファン館公式サイト)
サン・ファン・イルミネーションツリーとは?
支倉常長(はせくらつねなが)が乗った「サン・ファン・バウティスタ号」。
1993年(平成5年)に復元され、石巻に展示されています。
そして、12月になると、年末または年始まで、約1万球にもなる電飾によって、サン・ファン・バウティスタ号がライトアップされるのです。
このイベントが「サン・ファン・イルミネーションツリー」なのです。^^
今年2017年も石巻の冬を告げる「サン・ファン・イルミネーションツリー」が始まりますよ。
サン・ファン・イルミネーションツリー2017の期間や日程は?
2017年は、以下の日程になっていますよ。
- 開催日時:平成29年12月8日(金)~平成29年1月8日(月祝)
- 時間:16時30分~20時00分まで
- 開催場所:サン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)復元船サン・ファン・バウティスタ船体
また、点灯時は、宮城県慶長使節船ミュージアムへの入館はできませんので、ご注意を。
そして、クリスマス・イブイブだけ特別に、野外からの見学だけでなく、サン・ファン館の中から、サンファンバウティスタ号のイルミネーションを見ることができます。
こちらは、クリスマスムードバッチリですよ。^^
■ファンタジーフェスタ2017
- 開催日時:平成29年12月23日(土祝)午後4時30分~午後7時30分
- 料 金:一般350円・高校生以下無料
宮城県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)へのアクセスは?
宮城県慶長使節船ミュージアムへのアクセスは以下をご参考にされてくださいね。
- 住所:〒986-2135 宮城県石巻市渡波字大森30番地2
- 電車でのアクセス:「JR仙台駅」からJR仙石線石巻行き 乗車 約1時間28分「JR石巻駅」下車。その後、「JR石巻駅」からJR石巻線女川行き 乗車 約10分「JR渡波駅」下車。徒歩 約25分
- 車でのアクセス:三陸自動車道→石巻河南IC→県道16号線→国道398号線→県道2号線→万石橋→サンファンパーク
伊達政宗の野望とは?
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伊達政宗は、支倉常長に野望を託します。
この野望の目的は、政宗が徳川幕府を倒し、自らが天下を取るためだったと言われています。
そのため、内々にスペインとの貿易を成功させ、国を繁栄させようと企んでいたと言われているのです。
ですが、それとは別の目的があったのではないかと最近騒がれているのです。^^
それは、「震災復興」です。
東日本大震災があった2011年からちょうど400年前の1611年(慶長16年)12月。
慶長大津波が仙台藩を襲ったのでした。
東日本大震災と同程度の規模の大津波が仙台を襲い、死者は5000人以上にものぼったとも伝わっています。
この大津波の影響で仙台藩は壊滅的なダメージを負ったのです。
この事態を重く見た伊達政宗は、仙台、石巻などの町を早く元通りにしなければならないと考えたのです。
そして、考えて考え抜いたのが、外国との貿易で、仙台を発展させようということだったのです。
慶長大津波が発生してからわずか2週間で、スペインとの貿易をすることを考え抜くのです。
そして、そのためには船と現地に赴く交渉人が必要であり、造船と遣欧使節の派遣団を検討するのでした。
その後、約2年で、船を完成させました。
これが、サン・ファン・バウティスタ号です。
派遣団のリーダーには、支倉常長が任命されました。
支倉常長の位は、家臣の中でも中級クラスでした。
上級クラスだともしもの時に、仙台藩が困るため、中級クラスで海外渡航の経験者を抜擢したと言われていますが、真偽はさだかではありません。
あくまで想像なんだそうです。^^;
でも、ありそうな話ですよね。
政宗が考えた、外国とのつながりは、単なる物の売り買いをする貿易だけではなく、人の心を少しでも前向きになれるように、文化や芸術、さまざまな技術や情報、そしてなにより、人との交流によって、心が癒され、元気になれるのではないかということだったと思うのです。
これらによって、仙台の復興が進み、より国も栄えると考えたのではないかと言われてきているのです。
政宗が天下を取ろうとしていたというよりも、自分の国である「仙台」を復興させようと必死だったのではないかと思いますね。
実際、仙台にいる僕から見ると、こちらの野望の方が何故かしっくりきますよ。^^
ただ、仙台にも天下を狙える実力を持った武将がいたということは、純粋に天下を目指して欲しかったなという戦国ファンという立場で言えば、そう思いますがね。(笑)
まあ、いずれにしても、政宗の野望は壮大だったということでしょう。
仙台は、400年前にも、大津波があったんですね。
今でも、東日本大震災から6年経っていますが、政宗のように迅速かつ壮大な復興策にはなっていないですね。
議論されている防潮堤なども、本当に必要なのかどうなのか、防潮堤の高さよりももっと高い津波が来たらどうするんだと単純に思ってしまいます。
いたちごっこをするよりも、もっと高台の整備をすすめるとか、住宅の改善、改築のための補助を厚くするとか、いろいろあるはずです。
政宗に倣い、人の疲弊した心を復活させるような元気になるような復興策を考えて欲しかったですね。
まだまだ東北の復興は始まったばかりなのですから。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、宮城県石巻市にある「サン・ファン・バウティスタ号」のイルミネーションについてご紹介しました。
ちなみに、残念なお知らせですが、サン・ファン・バウティスタ号は、2020年をもって、解体される方向になっているのです。
1993年(平成5年)から約25年経ちますが、老朽化が進み、日本では、復旧させることがかなり難しいのだそうです。
ですので、東京オリンピックが開催される2020年まで、なんとか維持させ、それ以降は、解体する方向で検討しているのだそうです。
なんとも、寂しい限りです。
しかし、支倉常長がローマに渡った、政宗が仙台あるいは日本を思った熱い魂はなくならないでしょう。
残り少ない、サンファンバウティスタ号のイルミネーションをしっかり目に焼き付けたいですね。
それでは、今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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