鎖国とは?2つの理由と政策上のメリットは?

   

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近年、鎖国という表現をなくそうという流れが出ています。

教科書に載っていた「鎖国」は、「幕府の対外政策」とかになるそうですよ^^;

でも、とりあえずは、まだ鎖国のままで行くみたいですけどね・・・

教科書に記載されている歴史って、どんどん変わっていきますよね?昔は悪者だった人が今ではいい人、っていう場合もあるし、この肖像画は実は偽物でした・・というのもあります。

何なんでしょうね?

鎌倉幕府の成立も1192年(イイクニ)じゃなく、1185年ころになったようですし、昔は、○をもらえていたのが、今では×になってしまう。なんかおかしいですよね?

親が子供に間違った情報を伝えてしまいますよ^^;

また、足利尊氏や源頼朝の肖像画も実は別人だったとかというのもありますよね。

いちいち、いや、あれは実は間違いだったんですと改められても混乱するだけです。

年号や合戦の名前、人物の名前などを暗記させられた学校時代の勉強はなんだったのか?って思ってしまいます。

逆に言えば、歴史の出来事の解釈が変わっていくことは、従来の暗記ベースの教育方法では意味がないんじゃないの?って思いますよ。だって、昔は○でも今は×なんだから^^;

 

だから、歴史に興味ない!ってなるんですよね。

歴史の背景やどうしてそうなったのか?誰がどういう目的でどういう思いで行ったのか?などを流れに沿って教えていけば、おのずと興味は出ますし、歴史が面白くなるんです。

まあ、このブログの目指すところでもありますがね^^;

 

「鎖国」についても、表現が廃止され、別な言い方に変わるっていうのも、意味がわからないですし、「対外政策」って何?外国とのなんかの政策なの?ってなりますよね?

そして、実は鎖国してなかったの?ってもなりますよね?

ですが、その歴史の背景や目的などを覚えてしまえば、解釈が多少変わったとしても、なんとなく分かったりもします。

ですので、歴史を覚えたいとおもうならば、その背景や目的、理由などを調べてみることをおすすめします。そうすると、あまりブレずに、本質を理解できるようになります。

ということで、鎖国について、こんな感じでまとめてみましたよ。

 

鎖国とは?その目的は?

鎖国とは、何だったのでしょうか?

ズバリ言ってしまえば、幕府がキリスト教の脅威を徹底的に潰すための一連の事件の結果だったと思っています。

その結果として、キリスト教に関係する外国との貿易を禁止し、キリシタンを潰し、キリシタン大名を潰し、外国への渡航や帰国を禁止し、害のない中国やオランダとの貿易はできるように港を制限するのです。

これが、「鎖国」と呼ばれているものです。

秀吉のバテレン追放令にはじまり、キリスト教布教の禁止、キリスト教の信仰の禁止を徹底していきますが、かえって、キリシタンの力は九州地方に集結し、やがては「島原の乱」という最大級の一揆が勃発してしまうのです。

島原の乱が治まっても、根絶やしするにはいたらず、見つけては潰し、見つけては潰しを続けていたのです。それが外様大名の改易を拡大させ、その浪人たちが溢れかえり、やがては、見るに見かねた「由比正雪」が立ち上がり、「由比正雪の乱」が起こってしまうのです。

そうした事件と同時に、キリスト教国であるスペインやポルトガルの来航も禁止したのです。そして、日本にいたポルトガル人(妻子も含めて)をマカオに追放したり、出島に移したりしたのです。

その後、ポルトガルがまた貿易をしたいとお願いしに来航してきますが、その使者も全て処刑しています。

そして、日本人の東南アジア方面への渡航や帰国を禁止してしまうのです。

これにより、日本人であっても、故郷の日本へ帰ることができなくなってしまった人たちが大勢いたと思います。

アルマゲドンのような話ですよね?^^;

こうした、強権的な政策が悪政だと批判されるようになったため、後に、それを揶揄して「鎖国」と呼ぶようになったとも言われていますね。

鎖国時代の貿易を幕府がオランダや中国とだけ続けた理由とは?

 

鎖国の2つの理由とは?

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ということで、鎖国体制、鎖国政策を幕府が採った理由ですが、繰り返しになりますが、ズバリ、キリスト教の脅威から逃れるため、そして、脅威を潰すためだったと思っています。

  • キリスト教の脅威から逃れるため
  • キリスト教の脅威を潰すため

の2つです。

ひとつめの「逃れるため」は、外敵が来ないようにするということです。つまり、スペインやポルトガルとの貿易を禁止し、来航を一切禁止するということで、外敵が来ないようにしたのです。

そして、ふたつめの「潰すため」は、日本にいるキリスト教に関係する人々をことごとく処刑したということです。その最大級の事件が「島原の乱」ですね。

同じような意味に見えますが、「逃れるため」と「潰すため」は、考え方がまったく違うのです。

いずれにしても、このようなことが出来た徳川幕府の力は、強大なものだったのでしょうね。

 

政策上のメリットは?

じゃあ、鎖国のメリットってあったの?

と思いますが、結果論としてのメリットは、開国するまでの約200年間は特に外国からの脅威がなく平和な世の中だったということでしょう。

由井正雪の乱の影響により、幕府の武断政治から、文治政治へと徐々にシフトしていき、日本独自の文化「元禄文化」や「化政文化」が花開くのです。

5代将軍「徳川綱吉」の時代に完成された文化ですね。

これは、平和だからこそ実現できた、鎖国によるメリットと言えるのかなと思いますね。^^

 

まとめ

鎖国は実はなかったのかも?っていう誤解をされている人もいるかもしれませんが、鎖国があったからこそ、「開国」があったのです。

鎖国とは、端的にいえば、外国との交易を制限付きにしたということです。

この制限を撤廃したのが、「開国」ということになります。

外国との貿易ができる港を制限した、キリスト教の布教や信仰を禁止した、海外への渡航、海外からの帰国を禁止したことを「鎖国」と江戸時代の後期に付けられたのです。

ですから、当時の家光たちがあえて、鎖国という言葉を使ったわけではありません。なので、混乱してしまいますが、国を閉ざすということよりかは、制限すると言ったほうが良いかもしれませんね。なので、「幕府の対外政策」という表現に改めようとなってきているんだと思います。

鎖国っていう表現って、とてもつもなく、イメージ悪いですからね。

 

それでは、今回もありがとうございました。^^

 

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