関ヶ原の戦いの西軍の武将や人数は?もうひとつの関ヶ原とは?

      2017/08/06

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天下分け目の大合戦。

言わずと知れた「関ヶ原の戦い」ですね。

歴史が嫌いという人でも、知らないという人はいないのではないでしょうか?^^

それほど、有名な戦いですが、徳川家康と石田三成以外どんな人が東西に分かれていたの?って言う人もいると思うので、まとめてみましたよ。

東軍西軍の主な武将とその陣営の人数をまとめてみました。

また、各地で勃発していた「もうひとつの関ヶ原」にはどのような戦があったのか?こちらも合わせてご紹介しますね。

 

関ヶ原の戦いの西軍の武将や人数は?

東西両軍の陣営では、様々な武将たちが手勢を引き連れて、関ヶ原に臨んでいます。

その数、総勢、東軍が74,000、西軍が80,000とも言われています。

人数はほぼ互角で、西軍がやや有利だったんですね。

それでは、その内訳はどうだったのでしょうか?

以下にまとめてみました。

 

西軍陣営の人数

西軍陣営の主な武将たちと陣営の人数です。

 

毛利輝元 総大将(参戦せず)
石田三成 6,000
島左近
大坂城黄母衣衆 2,000
島津義弘 1,500
小西行長 6,000
宇喜多秀家 17,000
大谷吉継 600
戸田勝成 900
平塚為広 360
木下頼継 3,500
朽木元綱 600
小川祐忠 2,000
脇坂安治 1,000
赤座直保 600
小早川秀秋 16,000
毛利秀元 13,000
長宗我部盛親 6,600
安国寺恵瓊 1,800
長束正家 1,500
吉川広家 3,000
真田昌幸・真田信繁(幸村)
九鬼嘉隆・守隆
蜂須賀家政・至鎮

 

 

東軍陣営の人数(参考)

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参考までに、東軍陣営の主な武将たちと人数です。

 

福島正則 6,000
加藤嘉明 3,000
筒井定次 2,800
藤堂高虎 2,500
京極高知 3,000
田中吉政 3,000
黒田長政 5,400
細川忠興 5,000
寺沢広高 2,400
一柳直盛 1,000
竹中重門 180
松平忠吉 3,000
井伊直政 3,600
本多忠勝 500
織田有楽斎 450
古田重勝 1,200
中村一栄 4,350
山内一豊 2,000
有馬豊氏 900
水野勝成 900
市橋長勝 320
徳川家康 30,000
池田輝政 4,500
浅野幸長 6,500

 

もうひとつの関ヶ原とは?

関ヶ原の戦いは、本戦だけではなく、実は、各地で様々な戦が行われていたのです。

本戦が行われた慶長5年(1600年)9月15日前後に行われた戦を簡潔にご紹介します。

本戦に参戦できなかった武将は、各地で戦っていたのですね。

 

合戦地 期間 戦名 誰と誰?
出羽  9月15日

10月 1日

長谷堂合戦 伊達政宗

最上義光 

VS

上杉景勝

加賀  8月 1日

8月 3日

大聖寺城攻防戦 山口宗永

VS

前田利長

 8月 9日 浅井畷の戦い 丹羽長重

VS

前田利長

信濃  9月 5日

9月 9日

上田城攻防戦 真田昌幸

VS

徳川秀忠

美濃  8月22日

8月23日

岐阜城の戦い 織田秀信

VS

池田輝政

福島正則

 8月23日 合渡川合戦 織田秀信

VS

黒田長政

藤堂高虎

田中吉政

 9月14日 杭瀬川の戦い 島左近

明石全登 

VS

中村一栄

有馬豊氏

 9月15日 関ヶ原の戦い(本戦) 徳川家康

VS

石田三成

伊勢  8月24日 安濃津城攻防戦 毛利秀元

長束正家

安国寺恵瓊

鍋島勝茂 

VS

富田信高

分部光嘉

志摩  9月13日 鳥羽城の戦い 九鬼嘉隆

VS

九鬼守隆

近江  9月17日 佐和山城の戦い 石田正継

石田正澄

VS

小早川秀秋

脇坂安治

 9月 8日

9月15日

大津城攻防戦 毛利元康

立花宗茂 

VS

京極高次

山城  7月18日

8月 1日

伏見城の戦い 宇喜多秀家

小早川秀秋

VS

鳥居元忠

丹後  7月23日

9月13日

田辺城籠城戦 小野木重次

VS

細川幽斎

丹波  9月23日 福知山城の戦い 小野木重次

VS

細川忠興

因幡 10月10日 鳥取城攻防戦 宮部長房

VS

亀井茲矩(これのり)

伊予  9月16日 三津浜合戦 毛利輝元 

VS

加藤嘉明

豊後  9月13日 石垣原合戦 大友義統 

VS

黒田如水(官兵衛)

肥後  9月21日

10月13日

宇土城攻城戦 小西隼人 

VS

加藤清正

 

まとめ

戦国時代最後の大勝負である「関ヶ原の戦い」ですが、本戦自体は、わずか1日で、しかも6時間くらいで幕が下ろされました。ですが、そこに至るまで、また、終わってからも武将たちの様々な戦いが各地で行われていたのです。

たまたま、三成が嫌いだった、家康が嫌いだった、某が嫌いだったといった「嫌い」という理由で反対の軍についた武将も多くいたようです。

豊臣の家を守りぬくという正義をかけて、はたまた、野望をむき出しにして、自身が天下人となるために、多くの犠牲が払われた大戦が「関ヶ原の戦い」。

この戦以降、家康は、豊臣に対して容赦なくつぶしにかかるのです。

それが、大坂冬の陣、大坂夏の陣へとつながっていきます。

あの「真田丸」で活躍した「真田幸村」が最後を迎え、戦国が集結するのです。

関ヶ原の戦いによって、流れが徳川の時代へと流れていきます。それは、戦国の集結により平和をもたらしたのか、はたまた徳川独裁を許したのか、その評価は分かれますが、時代の流れとして、徳川を迎えたと考えたほうが自然な気もします。

それにしても、三成の悲願はあと一歩のところで潰えてしまいましたが、豊臣を守るという恩師「太閤秀吉」への忠義は本物だったのだと思いますね。

それでは、今回もありがとうございました。

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