由比正雪の乱(慶安の変)とは?原因やその後もわかりやすく

      2017/07/25

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由比正雪の乱と聞くと、陰謀とか幕府転覆とか、黒いイメージがつきまといます。

「クーデター」と呼ばれることもありますよね。

これだけだと、単純に由比正雪って悪者なの?って思ってしまいますが、実際はどうだったのでしょうか?

気になったから、調べてみましょうね。

 

由比正雪の乱とは?わかりやすく!

由比正雪の乱っていったいなんだったの?という疑問を解くには、キリシタンの弾圧で日本史上最大規模の一揆であった、「島原の乱」を知っておいたほうがわかりやすいかもしれません。

ですので、まずは、こちらを読んでからこの記事を読まれると、もっとわかりやすくなるかなと思いますよ^^

島原の乱とは?真実を知りたい!原因やその後もわかりやすく

 

島原の乱は、単なるキリスト教信者の弾圧ということではなく、関ヶ原や大坂の陣などで取り潰された多くの外様大名の浪人たちや、悪政に苦しめられた領民たちによる反発が膨れ上がり、ついには幕府への反乱へと発展してしまった戦だったのです。

この島原の乱をようやく鎮圧したあと、幕府側はさらに、キリシタンの弾圧を強化し、キリシタンと思わる大名や外様大名を徹底的に取り潰していったのです。

その結果、浪人がどんどん増え、その人たちが仕官しようにも働き口がない状態となり、盗みなどをする悪の道をたどるものも増えていったのです。そうなると、町は大混乱ですよね^^;

当時は、徳川秀忠、家光の時代であり、武力を持って政治を行うことに重きが置かれていた「武断政治」の時代でした。それもあり、徳川の脅威となるやつらは徹底的に潰すことができたのです。徳川の力がどんどん増して行った時代でもあります。

そうした中、幕府のあまりにも横暴なやり方に我慢がならなくなった人物がいたのです。

それが、「由比正雪」です。

そうです!

この由比正雪が慶安4年(1651年)に、幕府への批判と浪人たちの救済のため、幕府に立ち向かったのです。

幕府のやつら、いい加減にしろよ!と喝を入れようとしたのでしょう^^

この計画が、幕府転覆計画と呼ばれ、「由比正雪の乱」または「慶安の変」と呼ばれるようになったのです。

浪人たちからすれば、由比正雪は、ヒーローだったのです。

 

由比正雪は、優秀な軍学者でした。大名家からも幕府からも仕官の要請が頻繁にありましたが、どれも断り、独自路線を歩んでいたのです。

 

幕府からのお誘いも断ったくらいですから、あの人はすごいと評判になり、正雪が開いた軍学塾には、多くの塾生がいたそうです。多い時には3,000人にもなったそうですよ。

ちなみに、由比正雪の乱は、紀州の徳川頼宣が黒幕との説もあります。しかし、遺品の中にあった、頼宣の手紙が偽物だったというのが見解らしく、真相は分かっていません。でも、あながち、ない話ではないと思うのですが・・・^^;

尾張徳川家や紀州徳川家のみなさんは、スキあらば、将軍になろうと企てていたと思うのですがね。

とすると、徳川の内戦という見方もできるのかもしれませんが、真相は闇の中です。^^;

 

由比正雪の乱の原因は?

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というわけで、由比正雪の乱は、幕府の強硬な外様大名の改易があまりにも横暴すぎたことがそもそもの原因だったと思います。

島原の乱で懲りたはずですが、さらに潰しておけないと後々危険だと判断したのでしょうけれど、それがかえってより一層反発をかったのでした。^^;

将軍家光が亡くなり、4代家綱にバトタッチしたタイミングで、溢れかえる浪人たちをなんとかせねばと由比正雪が立ち上がったのです。

 

その後はどうなった?

ですが、結局このクーデターは、失敗に終わります。仲間の裏切りにあい、事前に密告されていたのです。

その密告者は「奥村八左衛門」だと言われています。この密告により、由比正雪は捕らえられ、自害して果てました。仲間の丸橋忠弥が捕らえられ磔刑、金井半兵衛は自害し、計画は失敗に終わったのです。

しかし、由比正雪の思いは、幕府に伝わり、大名の取り潰しを取りやめることに成功したのです。これにより、武断政治から文治政治へとシフトしていくきっかけになったのです。

五代将軍綱吉の時代には、その体制が完成し、元禄文化が栄えるようになるのです。

 

ちなみに黒幕とされた徳川頼宣は、武功派で幕閣に批判的であり、幕政批判の首謀者とし、失脚させたのです。これにより、武功派勢力を一掃させることにも繋がったのです。

この采配を振るったのが、知恵伊豆こと、松平信綱でした。^^

松平信綱(知恵伊豆)はどんな人?その功績をわかりやすく!

 

まとめ

由比正雪は武士ではなく、軍学者という立場の人でした。戦国で言えば「軍師」のような立場ですが、実際に戦をしたわけではないので、軍師ではないでしょうけれど、兵法を学びそれを教えていた人ですね。

ですので、武士ではないけれど、武士よりも武士らしい気骨と精神を併せ持った人物だと思います。

お家を守るということではなく、見ず知らずの困った人(浪人)たちを助けたいという純粋な思いが、大業をなせたのでしょうね。なかなか出来ることではないですよね。^^

由比正雪のイメージが変わりました。

それでは、今回もありがとうございました。

 

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