真田十勇士は実在した?由来やモデルとなった人物はいるの?
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真田幸村を支えた「真田十勇士」。
大坂の陣で一躍大スターになった真田幸村ですが、その活躍を支えていた精鋭集団が「真田十勇士」と呼ばれる10人の忍者たちです。
ですが、ご存知のとおり、真田十勇士は架空の忍者集団で、幸村が大坂の陣に倒れてからしばらくしたあとに、幸村の活躍に花を添える形で真田十勇士が生み出されたのでした。^^
では、この真田十勇士は、本当に架空の人物だったのでしょうか?
由来やモデルとなる人物はいたのでしょうか?
今回は、真田十勇士の真実に迫りますよ。^^
真田十勇士は、真田3勇士だった?
真田幸村をヒーローとして描いた最初の軍記物は、1672年(寛文12年)に発行された「難波戦記」です。
そして、江戸後期には小説「真田三代記」が発行されます。
この真田三代記は、真田昌幸、幸村、大助の三代が主人公で、徳川家に対して奮戦する内容で、大人気だったそうです。
この小説に、真田十勇士のもととなった、忍者たちが出てくるのです。
さらに、猿飛佐助や霧隠才蔵を主人公にした講談まで出てきたりもしたそうですよ。^^
明治・大正の時代になると、講談師たちは「立川文庫」を立ち上げて、次々と真田幸村と忍者たちの読み物を出版していったのです。
これによって、幸村はもちろん、忍者たちの人気は不動のものとなっていくのでした。
まず、発行されたのが、「知謀 真田幸村」。
その後に、「真田三勇士忍術名人猿飛佐助」、「真田三勇士由利鎌之助」、「真田三勇士忍術名人霧隠才蔵」の真田三勇士三部作が発行されます。
真田十勇士のうちの3人、猿飛佐助、由利鎌之助、霧隠才蔵を「真田三勇士」として売り出したのでした。
ですので、最初は、真田十勇士ではなく、真田三勇士だったんです。
なるほど、そうだったんですね。^^;
その後は、「真田家豪傑三好清海入道」などが発行され、最終的に、「真田十勇士」として発行されました。
ここに、真田十勇士が出揃ったわけです。
そこから、真田十勇士が大ブレイクし、今では、幸村を凌ぐ人気ぶりですよね。^^
ちなみに、上田城の名物になっている「信州上田おもてなし武将隊」。この武将隊は、真田幸村と真田十勇士で構成されていて、観光客を最大限おもてなししてくれますよ。
真田十勇士のモデルになった人物は?
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もともと架空の忍者集団である真田十勇士ですが、そのモデルになった人物はいたのでしょうか?
真田十勇士は、以下の10人になりますが、実は、10人中、6人にそのモデルとなった人物がいたそうなのです。
- 猿飛佐助(さるとびさすけ)
- 霧隠才蔵(きりがくれさいぞう)
- 由利鎌之助(ゆりかまのすけ)
- 三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)
- 三好伊三入道(みよしいさにゅうどう)
- 穴山小助(あなやまこすけ)
- 筧十蔵(かけいじゅうぞう)
- 海野六郎(うんのろくろう)
- 根津甚八(ねづじんぱち)
- 望月六郎(もちづきろくろう)
基本的には、武田家の家臣や真田家一族、ひいては、三好三人衆をモデルにしていたみたいですよ。
では、誰だったのか見ていきましょう。^^
モデルがいたとされる人物は、以下の6人ですよ。
- 三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう)
- 三好伊三入道(みよしいさにゅうどう)
- 穴山小助(あなやまこすけ)
- 海野六郎(うんのろくろう)
- 根津甚八(ねづじんぱち)
- 望月六郎(もちづきろくろう)
三好清海入道
三好清海入道のモデルとなった人物は、三好政康という人物とされています。
この、三好政康は「三好三人衆」と呼ばれた三好一族の戦国武将です。
大阪夏の陣で豊臣方で奮戦した人物であり、法名が「清海」だったことから、三好清海入道となったようですね。^^
三好伊三入道
三好伊三入道は、三好政康の弟である三好政勝がモデルとされています。
政勝は、大阪夏の陣で、兄とは敵として、徳川方で奮戦した人物でした。法名が「為三(いさ)」だったことから、三好伊三入道につながったようですよ。
穴山小助
穴山小助は、武田家の家臣だった穴山氏をモデルにしていると伝わっています。
海野六郎、根津甚八、望月六郎
信濃の小県の氏族だった滋野氏を祖とする、「滋野三家」と呼ばれている家柄があります。
この滋野三家とは、「海野(うんの)」、「根津(ねづ)」、「望月(もちづき)」になり、さらには、海野の子孫として、真田氏がいます。
そうです。
つまり、真田とは親戚関係にある、真田一族がモデルになっているんですね。^^
まとめ
いかがでしたでしょうか?
すでにお気づきかどうかは分かりませんが、真田三勇士にはモデルとなる人物がいなくて、それ以降の真田十勇士にはモデルがいたということになります。筧十蔵は除きますが。
より、リアリティを持たせるためかどうかは分かりませんが、少なくても、真田に関係する人物をモデルにすることで、より臨場感あふれるストーリーを描くことができたのかなと思います。
今では、幸村を凌ぐくらい、映画やドラマにひっぱりだこの真田十勇士。
これからも、真田を盛り上げるために、走り回ることでしょうね。^^
それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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