ペリーが幕府に贈った品物がすごすぎ!篤姫お気に入りの品とは?

   

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1853年(嘉永6年)に、ペリーが黒船に乗って、浦賀にやってきました。

 

日米和親条約を結ぶため、幕府に要求しますが、当時の老中・阿部正弘が1年後に回答するので、それまで待ってくれと言って、ペリー一行は、いったんアメリカに帰ります。

 

その後、またペリー一行がやってくるのですが、手土産にとんでもないものを持ってきたのです。

 

当時の日本にはない、とても珍しいものを幕府に献上したのでした。

 

そして、その中のひとつに、13代将軍・徳川家定の正室・篤姫(天璋院)がとても気に入ったものがあったのです。

 

今回は、ペリーが来航した時に、どんなものを幕府に贈ったのか、その贈り物について、ご紹介しましょう。

 

篤姫が気に入ったあるものとは何だったのでしょうか?^^

 

それでは、ごゆっくりお楽しみくださいね。

 

ペリーが幕府に贈った品物とは?

ミニ蒸気機関車

2回目にペリーが日本にやってきた時に、ペリーは、何を幕府に贈ったのでしょうか?

 

この時の将軍は、13代・徳川家定でした。

 

ペリーは、家定に、アメリカの技術力をアピールするため、なんと、「蒸気機関車」をプレゼントしたのです。^^

 

ただ、蒸気機関車といっても、ミニチュアでした。実物の4分の1ほどの大きさだったとか。

 

本物ではなかったものの、本物と同じしくみで動くれっきとした蒸気機関車だったのです。

 

ペリーは、横浜の海岸に線路を敷き、実際に走らせてみせたのでした。

 

当時の幕府の役人たちは、「これは魔法なのか??」とかなり驚いたようですよ。^^

 

そりゃあ、そうですよね。

 

鉄の塊が、勝手に動くんですから。^^;

 

驚くのも無理もないですよね。

 

電信機

そのほかには、「電信機」も将軍・家定に贈っています。

 

この電信機は、日本初の電信機として知られることになるのです。

 

ペリーは、横浜に、電信線をかけて、実際に通信実験を行ってみせて、遠く離れたところにいる人の声がする?

 

「ん?なんで??」って、これもかなり度肝を抜かれたことでしょね。^^;

 

ペリーのこうした贈り物に興味津々で、野次馬根性の人たちが多かったと言われています。

 

ペリーに近づこうと、黒船の船員たちの影にかくれて、ペリーの服を触ろうとする人もいたとか(笑)

 

江戸っ子たちは、黒船という敵というより、もの珍しい、魔法使いのようなイメージでペリーを見ていたのかもしれません。^^

 

蒸気機関車や電信機について、熱心に観察したり、ペリーにも質問攻めをしていたかもしれませんね。

 

ペリーは、日本人のこうした好奇心に驚いたそうですよ。吉田松陰もびっくりですよ。^^;

 

天璋院・篤姫が気に入った贈り物とは?

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天璋院・篤姫がペリーの贈り物の中で、気に入った品とは何だったのでしょうか?

 

それは、「ミシン」だったのです。

 

将軍が家定でしたので、その正室である篤姫にも、ペリーは贈り物を贈っています。

 

その中で、篤姫が特に気に入ったのが、「ミシン」だったそうですよ。

 

もちろん、当時の日本には、ミシンというものはなくて、日本で初めて、ミシンを使ったのが天璋院・篤姫だったそうです。

 

(天璋院・篤姫 出典:wikipedia

 

さすが、篤姫ですね。篤姫というと、どうしても、大河ドラマ「篤姫」の宮崎あおいさんをイメージしてしまいます。^^;

(大河ドラマ「篤姫」宮崎あおい 出典:NHKアーカイブ

 

ですが、2018年からは、大河ドラマ「せごどん」で、北川景子さんが篤姫をされますね。こちらも楽しみにしています。と、少し横道に逸れました。^^;

(大河ドラマ「せごどん」北川景子 出典:芸能ニュースjp

 

ミシンは足ふみ式のもので、篤姫は、それを見た瞬間、とても喜んでいたそうです。

 

ぜひ使いたいと言って、自分で使い方を覚えて使っていたそうですよ。^^

 

篤姫が上手にミシンを使いこなしていたことが、当時のアメリカの新聞に取り上げられたとのこと。

 

なんとも、器用な方だったんです。篤姫って。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

今回は、ペリーが来航したときに、幕府に献上した贈り物はどういうものだったのかについてご紹介してみました。

 

ペリーが日本に与えた影響は、産業面においても、大きかったと思いますね。

 

明治に入ってからの富国強兵にもつながるきっかけだったと思います。

 

今回は、ザクッと豆知識としての歴史でしたね。^^

 

それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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