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徳川家茂の和宮への最後の贈り物が悲しすぎ!死因はなに? | 日本の歴史わかりやすくもっと知りたい!
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徳川家茂の和宮への最後の贈り物が悲しすぎ!死因はなに?

   


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徳川14代将軍である「徳川家茂」。

 

家茂の奥さんは、公武合体のために政略結婚した「和宮」ですね。

公武合体と尊王攘夷の違いとは?安藤信正が和宮を降嫁させた?

 

和宮は、孝明天皇の妹で、幕府と朝廷を結びつける大事な役割を担った人でした。

 

徳川家茂と和宮の夫婦仲はとてもよかったようですね。

 

ですが、結婚生活はわずか4年で終わってしまいます。

 

その理由は、家茂が結婚後まもなく病に倒れ、亡くなってしまったからです。

 

亡くなる前、家茂は和宮への土産を買って帰る予定でした。ですが、それは果たされることがなく、贈り物だけが和宮へ届けられたのです。

 

なんとも悲しい出来事ですね。

 

ということで、今回は、家茂が和宮に送った贈り物がどんなものだったのか?なぜ無言の贈り物になったのか?そして、将軍家茂が亡くなった死因とはなんだったのか?について、わかりやすく簡単にまとめてみますよ。

 

それでは、今回も最後までごゆっくりどうぞ。^^

 

徳川家茂と和宮

徳川家茂とはどんな人物?

(徳川家茂 出典:wikipedia

 

徳川家茂は、1846年(弘化3年)5月24日に、紀州藩第11代藩主・徳川斉順の次男として生まれました。

 

4歳で紀州藩の藩主となり、大人たちの権力争いに巻き込まれながら、大老・井伊直弼によって、14代将軍になったのです。

 

井伊直弼が桜田門外で倒れると、安藤信正が老中として幕政を引き継ぎ、混乱していた世の中を公武合体という政策で乗り切ろうとしました。

 

その政策によって、徳川家茂と孝明天皇の妹・和宮が結婚することになったのでした。^^

 

朝廷側の「公」と幕府側の「武」がくっついた「公武合体」が二人を結びつけたのです。

 

徳川家茂は、和宮と結婚後、孝明天皇に会いに行きます。

 

そして、孝明天皇に、攘夷の決行を誓うのでした。^^;

 

これには、孝明天皇もさぞかしよろこんだことでしょうね。^^

 

しかし、幕府が兵庫港を天皇の許しを得ずに勝手にイギリスやフランスなどに開港してしまいます。

 

これにブチギレた孝明天皇は、開港した老中2人をこれまた、勝手にやめさせてしまうのです。^^;

 

このときの老中は、「阿部正外(あべまさと)」と「松前崇広(まつまえたかひろ)」でした。

 

そして、これに激怒した徳川家茂は、「将軍をやめるぞ!」と朝廷に脅しをかけたのです。

 

朝廷にとっては、武力は幕府頼みだったので、家茂がせっかく攘夷を実行してくれると頼もしいことを言ってくれたのに、それが反故になっては困ると、今後は、幕府のことに口出しはしないと約束をしたのだそうですよ。

 

やるじゃあないか、家茂(笑)。

 

そんな家茂は、第二次長州征伐で指揮をとるために西日本へ向かうことになります。

 

しかし、途中で寄った大坂城で、病に倒れ急死してしまうのです。

 

享年21。

 

なんとも早すぎるお別れでした。

 

幕臣の勝海舟は、大人たちの権力闘争に利用されてしまったところはあるが、武勇にも優れ、人の情けや痛みがわかる名君として名を残せる人物だったと賞賛したほどです。さぞ、悔しかったでしょうね。

 

日記にも「徳川家、今日滅ぶ」と記したほどだったとか。

 

無念でしたでしょうね。

 

和宮とはどんな人物?

(和宮 出典:wikipedia

 

和宮は、孝明天皇の妹で、6歳のときには既に婚約者がいました。「有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)」です。

 

しかし、時の老中・安藤信正によって孝明天皇に「朝廷と幕府を結びつけ、日本を強くしましょう」と持ちかけます。これは、孝明天皇が勘違いしたと思うのですが、攘夷をしてくれると思ってしまったのですね。

 

そのため、孝明天皇はそれならばと大事な妹を将軍・家茂に嫁がせることを決意してしまうのです。

 

和宮は既に婚約者がいたので、まさか破棄して将軍に嫁ぐとは夢にも思っていなかったことでしょう。

 

ですが、兄・孝明天皇の苦しんでいる姿を見て、家茂に嫁ぐことを承諾するのでした。

 

なんとも、けなげじゃあないですか。^^;

 

ここから、和宮が翻弄される人生を歩むことになるのです。

 

これが「和宮降嫁」です。

 

江戸城に入ったばかりの頃は、先代である13代将軍・家定の正室・篤姫(天璋院)にきつく当たられたそうです。

 

というより、江戸城内のしきたりを和宮に教えようとしたけど、京都の誇りから幕府に臣従してなるものかとの重いから、なかなか受け付けられたかったというのが真意のようですね。^^;

 

ですが、後々は和解し、仲がよかったようですよ。明治に入ってからは一緒に暮らしていたようですしね。

 

そんな高貴な和宮は、大奥ともうまくいかず、辛い毎日を送っていたようです。

 

ですが、同じ年の家茂はとてもやさしく和宮をいたわったそうです。

 

やがて和宮は、家茂のことを愛するようになっていったのです。^^

 

しだいに、和宮も篤姫や大奥とも打ち解けていったのですね。

 

そんな矢先、家茂が第二次長州征伐のため西日本に向かうことになるのです。

 

ですが、家茂は途中の大坂城で命を落とし、帰らぬ人となってしまうのでした。

 

その後、和宮は、「静寛院宮(せいかんいんのみや)」と名乗り、朝廷には戻らず、徳川の女として徳川家に残ったのです。

 

徳川が新政府軍によって江戸城に迫ってきた時も、「徳川家を滅ぼすなら自分も死ぬ覚悟」と伝え、攻撃を中止させるために力を尽くしたのです。

 

なんとも健気ですよね。^^

 

明治に時代は変わってからは、京都に戻ることもありましたが、東京へ戻り、32歳でこの世を去りました。

 

徳川家茂の和宮への無言の贈り物とは?死因は?

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徳川家茂からの最後の贈り物とは?

徳川家茂と和宮は、夫婦仲がよく、第二次長州征伐に家茂が出発する前にも、お土産は何がいい?と家茂は和宮に聞いていたのです。

 

和宮は、京都の西陣織の着物が欲しいと伝えます。

 

家茂は、了解!と言って、京都に立ち寄るのでした。

 

そこで、西陣織の着物を買い、大坂城に向かうのでした。

 

大坂城に着いた家茂ですが、体調を崩し、そのまま亡くなってしまったのです。

 

それを知らない和宮は、「西陣織の着物」だけが届けられたことに愕然とし、着物を抱きしめて泣き崩れたそうです。

 

あまりにも悲しい出来事に泣くことしかできなかったのでしょうね。T-T

 

悲しすぎます。

 

家茂の死因は?

それで、徳川家茂が大坂城で急死したわけですが、死因は、「脚気」だったと言われています。

 

家茂の他には、13代将軍・徳川家定や薩摩藩の小松帯刀なども脚気で亡くなっています。

 

脚気は、昔の病気だというイメージがありますが、現代でも同じように苦しむ人たちはけっこういらっしゃるようですよ。

 

足の病気とイメージがありますが、心不全など心臓の病気でもあるのです。

 

症状としては、心不全と末梢神経障害による脚の筋肉の痛み、脱力感、萎縮などが起こるようですよ。

 

当時は、脚気で苦しみ亡くなる人も多かったのです。

 

幕府の重責が心臓に負担をかけてしまったのでしょうかね?

 

まだまだこれからだというときに、悔やまれてなりませんね。

 

和宮はどんなに落胆したことか想像に難くないですよ。T-T

 

 

徳川家茂と和宮の名言

徳川家茂の名言

馬に罪はない」という名言が残されています。

 

これは、敵である長州藩の毛利家から馬が献上されたときに、家臣は「この馬をどのように処分しますか?」と尋ねると、家茂は、処分はしないと言ったそうです。

 

つまり、長州が敵であったとしても、馬そのものは、敵ではなくため、敵ではない馬を処分する理由はないということだったのです。

 

なんとも、慈悲深いというか、何を倒すべきかをわきまえていた分別のある将軍だったことが分かりますね。

 

家茂の優しさが滲んでいます。^^

 

和宮の名言

惜しまじな 君と民とのためならば 身は武蔵野の露と消ゆとも」。

 

家茂との結婚を決意した時の名言だそうです。

 

兄・孝明天皇が望む事が叶うならば、我が身は武蔵野の地に露のように消えたとしても本望であるということですね。

 

決死の覚悟が伺えます。

 

しかし、実際江戸城に入城すると、あれ?ってなることも多いですが、それは最初だけの話で、次第に将軍の正室という威厳を持つようになるのです。

 

和宮が残した徳川への思いが、江戸城の無血開城にもつながるわけですからね。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

今回は、徳川家茂と和宮について、家茂が和宮に最後に送った贈り物はなんだったのか?家茂の死因はなんだったのか?についてまとめてみました。

 

若い二人は、わずかな期間ではありましたが、政略結婚とはいえ、お互いを認め合い、理想的な夫婦へと成長していくのでした。

 

家茂の死は、あまりにも早すぎました。

 

勝海舟ではないですが、もう少し、家茂の活躍を見ていたかったですね。

 

和宮も同じ思いだったことでしょう。

 

それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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 - 徳川家茂, 江戸時代


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