真田幸村(信繁)の初陣は小田原征伐なの?第一次上田合戦なの?

   

スポンサーリンク

 

真田幸村こと真田信繁の初陣は、一般的には「小田原征伐」であると言われています。

 

しかし、小説やドラマなどでは、第一次上田合戦が初陣として取り上げられていることが多いです。

 

ちなみに、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」では、第一次上田合戦が初陣として描かれていました。

 

なぜこうも違うのでしょうか?

 

一番の大きな理由は、真田幸村(信繁)に関する信頼できる資料が少ないからということです。

 

ある軍記物には、小田原征伐、またある資料には、第一次上田合戦と書かれているのです。

 

じゃあ、どっちを信じればいいの?ってなりますよね。

 

このことが、幸村の初陣がどれなのかを混乱させている要因になっていると僕は思います。

 

極論をいえば、伝える側がどららを採用するかによって決まると言ってもいいかもしれません。^^;

 

 

では、それぞれの初陣説は、どのような根拠となっているのでしょうか?

 

そして、結局、幸村の初陣はどっちなのでしょうか?

 

そのあたりを見ていきましょう。^^

 

小田原征伐が初陣とする説

時代背景からの根拠

小田原征伐を初陣とする説の場合、第一次上田合戦には参加することが不可能だとする時代背景を根拠としています。

 

どういうことかというと、第一次上田合戦は、父・真田昌幸の領土である「沼田」を、北条が奪い返したいと切願したことが発端でした。なんとか奪い返したい北条は、徳川家康と密約し、家康は、昌幸に、沼田を北条に返しなさいと命令してしまうのです。

 

理不尽な命令に、昌幸がブチギレて、それまで徳川についていた真田でしたが、徳川と決裂し、上杉を頼りにいくのです。このとき、上杉景勝に忠義を示すために、幸村(信繁)を人質として差し出したわけです。

 

その後、徳川は、真田昌幸の上田城を攻め、沼田を力尽くで奪おうとするのです。これが第一次上田合戦です。

 

第一次上田合戦(神川合戦)が起きた理由とは?徳川はなめていた?

 

人質となった幸村(信繁)は、家臣の矢沢頼康らとともに、海津城、そして春日山城に入りましたが、戦の場合は、頼康が幸村(信繁)の代わりに大将として真田軍を率いて戦っていたのです。

 

ですので、幸村(信繁)は、あくまで、人質として、動くことはなかったようです。

 

資料からの根拠

一説には、幸村(信繁)がお家の一大事であるため、なんとしても参戦したいと景勝に懇願し、許可を得て、上田に一時帰国したという話がありますが、出番はなかったとされています。

 

上田軍記」では、幸村(信繁)が第一次上田合戦に参加していることになっているそうですが、事実ではないようです。

 

真武内伝」に書かれている「矢沢三十郎、信繁の軍代として、上田勢を引率する」という内容を根拠として、幸村(信繁)が参加ではなく、三十郎頼康が名代として参加しているとしているのです。

 

あくまで、幸村(信繁)は、人質であり、動くことができなかったのでした。

 

このため、幸村(信繁)は第一次上田合戦に参加することができなかったとされています。

 

そして、「滋野世紀」という資料では、源次郎信繁が小田原征伐において、よく働き、手柄を上げたということが記されているようです。

 

ただし、信繁のことが書かれているのは、軍記物だけであり、当時の書状に信繁が参加したのかどうかを証明する記載はないそうです。

 

しかし、小田原征伐のころは、幸村(信繁)は、上杉から秀吉の人質になっていましたが、小姓をつとめた幸村(信繁)を秀吉は、一緒に連れて行ったとするのが自然です。

 

このため、初陣は、第一次上田合戦ではなく、小田原征伐だとしているのです。

 

第一次上田合戦が初陣とする説

スポンサーリンク

一方、第一次上田合戦が初陣とする説はどうでしょうか?

 

こちらの場合は、さきほどの、小田原征伐を初陣とする時代背景を否定する内容になっています。^^;

 

どういうことかというと、幸村(信繁)は第一次上田合戦には参加することが不可能だったのではなく、可能だった。ということです。

 

この「可能」だったということがポイントです。^^

 

つまり、第一次上田合戦の時に、人質に幸村以外の真田の者がいれば、可能なんじゃないの?ということです。

 

そして、それを裏付ける事実があったとしているのです。

 

それは、幸村(信繁)の母・山手殿が上杉の支城・海津城にいたとする事実を言っています。これは定かではありませんが、これが本当に事実であれば、確かに、幸村(信繁)が上田に一時帰国することはできたかもしれませんね。

 

 

結局初陣はどっち?

歴史の教科書って、昔覚えたことが、今では違うことになっていることがよくありますよね。

 

たとえば、大化の改新も、今は、乙巳の変(いっしのへん、おっしのへん)というようですね。読み方もイマイチ分かりません。^^;

 

年号もしかりですね。

 

それを考えると、今は、幸村(信繁)の初陣は小田原征伐ですが、近い将来、やっぱり第一次上田合戦になっているかもしれません。

 

そのほうが、上田城を徹底して守る真田一族の結束が現れているような気がします。自然な流れかなとも思います。

 

なので、ドラマなどでは、第一次上田合戦を初陣にしているのかもしれませんね。^^

 

それはともかく、やはり、現時点では、小田原征伐を初陣とする通説が、根拠としては強いような気はします。

 

ですので、やはり、初陣は小田原征伐だと思いますが、どうなのでしょうか?^^;

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

 

真田幸村(信繁)の初陣は、小田原征伐だとする通説があっているのではないかと思いますが、どうでしょうか?

 

実際、小田原攻めで、父・真田昌幸、兄・真田信幸とともに、北条家臣・大道寺政繁が城代を務める松井田城を攻略し、さらには、箕輪城も攻略しています。

 

さらには、小田原征伐で唯一落城しなかった「忍城」攻めにも、石田三成や大谷形部とともに、幸村(信繁)も参加しています。

 

これらの攻略には参加はしていると思いますが、それが初陣かどうかは、はっきりいえば、不明ということでしょう。

 

ですが、根拠として強い、この小田原征伐が初陣とされています。

 

いつの日か、大河ドラマ「真田丸」のように、第一次上田合戦が初陣となるのでしょうかね?

 

期待しましょう。^^

 

それでは、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

スポンサーリンク


 - 真田幸村